幸福度はどのくらい?才能とお金と幸福論
ブータン王国では【いじめ】という言葉がないらしい。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1206704769345976&substory_index=0&id=443006545715806
そして、その事について子どもに質問した女性の投稿がFacebookで話題になった。
「なぜ、そんなことするんだろう?
自分にとってそれ。恥ずかしいこと。」
ブータン王国は決して経済的に裕福な国では無いが
国民の幸福度が日本より高く、また上を目指し続ける国。
お金があれば幸せか?
そこに着目したい。
ちょこちょこ、ブログに登場する息子は軽い発達障がいのグレーゾーン。
成績とかそういうレベルの話は彼にとってはどうでも良いことである。
しかし、あと2年で受験生。
何しろ、クラスの友達と同じスピードで
字を書くことや板書をするのは不得意。
小学生の頃より、何度かWisc検査を受けて来た。
しかし、知的障がいは無くギリギリのラインで
何にも引っかからずここまできている。
現在中1なので、当然公立中学では追いつかなくなっている。
先日は三者面談で、担任の先生にこう言われた。
「ご家庭でどうされたいかが大切です。」
う〜ん。どちらかと言うとずっと学校での学習方法に疑問を感じてきた。
その相談をして、小学校では3年生から通級指導教室へ通う。
これは、市や区が定める発達障がいへのサポート教室。主にコミュニケーションが苦手なお子さんが
通う。
しかし、彼の行動を見てきた限り、生きて行くには困らないだけのコミュニケーション力がある。
どんな人の懐にもス〜っと入っていく。
コミュニケーションは大好物なのだ。
ある意味才能!
コミュニケーションが苦手な通級の子ども達の間でもバランスが取れると通級の担当者から褒められた。
勉強となると貝の様に閉じる。バタン。
恐らく授業で興味の無い科目は御経の様に聞こえ
耳に念仏。
そのうち、上瞼と下瞼がくっついてきて
トロ~ンとなってしまう。
1番前の席に座っているのに、だ。
そんな息子が発した言葉に
「僕は今のままでも充分幸せだよ」
ここがブータン王国の子どもとリンク。
作:中村凱【人の心の中】より
そんな息子は小学3年の時に壮絶ないじめで学校に行かないという選択をしたことがある。
毎日楽しく行っていたはずが、
「クラス全員から無視されてる。」
更に担任の先生の言葉に傷ついたのだ。
毎日遅刻しつつ何とか学校まで送りつつ様子を見に行く。
たまたま、柱の影にいた私は校長と副校長の
息子へ投げかける言葉を目の当たりにする。
「こんな時間になって、遅いぞ!」
「何やってるの!早く教室に行きなさい!」
私はこの景色を見てしまった。
そして、決断!!!
この学校は出よう!
新しい学校へ行こう!
そのあと、すぐに隣の学校見学へ行き
「ここなら、大丈夫。学校へ行く!」
と言った。
ある意味、親子で逃げた。
あの時間から逃げなかったらメンタルボロボロになり潰されていただろう。
あの時、私はPTA会長を1年間務め、翌年は副会長になったところだった。
息子の学校なのに親の役職があるとは、面倒だ。
親のプライドなんてどうでもいい!
途中で引越しを機に辞めた。
この事はまた改めて綴ろう。
さて、あれから5年の月日が経ち、いろんな事はあったが不登校にならず通っている。
やれ、学校の成績だとか
いい大学へ行ければとか
そんな事は彼にとっては関係ない。
毎日が平和で幸せならそれで良いのだ。
天才バカボンのパパも言ってた。
これでいいのだ〜
これでいいのだ〜
今が幸せで、何も不自由を感じず
笑顔でいられる。
お金がたくさん稼げたら幸せか?
という問いの中に面白い統計結果が出ている。
年収900万以上を超えると社会に貢献したくなるそうだ。
これは、経済大国で育った人の感覚だ。
ネパール人の友達に子ども食堂の話をしたら、そんな事は当たり前のこと。
「困っている子どもはどこかの家でご飯を出すんですよ。いつも大勢で食べてる。お金のある人や助けられる人がするのは当たり前のことなんです。」
涙が出そうになった。
ネパール人はとても勤勉で穏やかな人が多い。
彼らは元々、国の経済が裕福ではないが努力する。
困っている人に手を差し伸べるのは当たり前。
2020年より、日本ではいよいよ国が
【こども食堂】を管理し始めるらしい。
民が動かした実例でもあるが、私は国のやり方に興味津々である。
さて、
経済力≒幸福度で無いことは見えている。
実際にお金を持っている小資産家は
なんとか自分の資本を保つ事に従事する。
また、中資産家は働かなくてもお金が回るシステムをつくり手元にいつでも入ってくる。
大資産家になると、社会に貢献したくなり
自分の資産を寄付し還す活動をしている。
今、自分の周りにいる大切な人を5人思い浮かべる。その5人が皆んな幸せで笑顔で暮しているならアナタ自身も幸せ。
美味しい食事と笑顔が目の前にあることが
幸せ。
大きなお金を手にした時に人はどうなるか?
また、その財産を無くした時に本当の意味で
遺るものは何なのか?
お金とは生きる上で必要な貨幣ではなく手段。
自分で食材を作ることができない人のツール。
ある意味、単なる紙でしかない。
私たちはそのお金に左右され踊らされ
喜んだり哀しんだり
憂いたり落ち込んだり
だけど、そんな必要はひとつもない。
生まれてきたときも
死にゆくときも
何も持たずに旅立つのだから。