chikyuwatomodachi’s diary

地球はともだちのお話

島人~大和人【女ひとり旅】part.1


沖縄の旅から帰還。
2回目の緊急事態宣言がはじまり、1月下旬に宮古島で行う予定の壁画ワークショップは飛んでしまった。

次回がいつ開催になるか全く目処が立たない中、ふとしたご縁から沖縄県読谷村(やよみたんそん)へ。

それまで、溜まりにたまった予定をひとつづつこなしていた。
家庭では休む暇なく四六時中誰かが私の帰りを待ち、用事を申し付けてくる。
誰かと共に過ごすという事は時間を消耗しているという氣になった。
この自由にならない心理について考察し始めていた。

《大切な人と過ごす時間と自分時間のバランスだ。》

実家に約2年前より居住を移してみたものの、わたしの居場所が無かった。

絵を描き、jewelry制作の時間を作りたくても実質的に心地よい空間を作れない私が居た。

娘や息子、母マリ子には個室があり
わたしには荷物を置きの納戸と仮りの場所でコロナ禍の中、1年間作業をしてきた。

1月のお披露目会や個展が目白押し
一段落すると、複雑な胸中になっていた。

シンデレラ(サンドリヨン本当の名前)の胸中になり

「あ~わたしも舞踏会へ行きたいわ。。。」

この場合の舞踏会とは旅である。

コロナ自粛の中ではあったが、騒動が少し落ち着きはじめた頃にひとり旅の計画を経てた。

そこからは、ワクワクのはじまりだ。
[ ]

さて、わたしをこんな素敵なところへ導いてくださった方それは壁画ひとつぶの種
を動画発表したリモート開催記念にYouTubeでアップしたオリジナル作品だ。

この作品には協力者がいて、ひとつの作品となっている。

映像クリエイターの松浦有さん
写真家のその江さん

そして、ライア奏者の池末みゆき先生だ。
映像も相まって、非常に質が上がり動画としての価値も付いた。
https://youtu.be/15zxrVwhK8Q

この音楽家の方と繋がった事で作品は大きく変化をはじめる。
そして、わたしの生き方にもメッセージがあり再びおんなのひとり旅がはじまった。

20代、わたしは旅人をしていた。
リュックひとつでアメリカ大陸を旅したり
ヨーロッパでは各国で通じない言葉をジェスチャーで操り、かなりユニークな旅をしてきた。

旅は人生によく似ている。

孤独を感じるから嫌だと母マリ子は言うが
わたしにとっては《心の洗濯》ができる
事がわかった。

今回は格安航空券で飛び立つ事にした。
成田空港からの初peach
前回、パートナーとでかけた宮古島羽田空港から那覇那覇から宮古島
便が多く直行便はコロナ自粛で欠航便。

みゆき先生はわたしにいつも決まってこう言ってくれる。

「エミさん、ひとりは気楽よ✨自分のペースで良いし気兼ねしなくてよいしね。」

ひとり旅で先に沖縄へ向かった彼女を追いかけて、ある宿に向かう計画。

那覇空港に降り立つと
成田空港からの手続きの簡単さも合間って
近所を移動しているぐらいの簡単な移動だったと思える。

途中、peachの手荷物預りは手続きをネット条件に安くなることを知らなくてお金を払ってからの説明に少しイラッとしたが
これもビジネスの一環だと乗り込んだ。

格安飛行機はシンプルであるが、スマホを充電するプラグの無いタイプのカタオチ。
それは、少し残念でもあったが、ほんの
数時間のフライトだ。
朝淹れた手持ちのコーヒーをぐひりとしな[ ]がら、着陸を待った。

視界は悪く良く揺れた。
沖縄は雨か。。。

荷物を受け取り外へ出ると雨が止んで
少し台風の後を思わせる亜熱帯気候となっていた。

《レンタカーは借りない》

前回、宮古島の旅でやってしまった!
ひとり旅なら未だしもパートナーが一緒に居たのにも関わらず、エンジン全開で島中を駆け巡ってしまった。

結果的に壁画のご縁は繋がったものの
海に潜るという最大の目標をしなかった。

元々、海が大好きで魚の様に水の中で暮らしたいと人魚姫かアマビエかの如く思っていたはずなのに。。。

その失敗を繰り返さない為に、今度はゆっくりと市内バスに揺られてみることにした。

バス案内係のおじさんに

読谷村バスターミナルへ行きたいです」と伝えると、ここでいいんだよ。

と言われたので、20分待って乗り込む。

若い運転士さんのバスは丁寧にアナウンスされるものの、なかなか着く様子がない。

もしや?と思って残りわずかなスマホの電池を活用すると、どうやら通り越していた。

いや、そんなはずはない!
だって眠い眼を開いて見張っていたし。

バスの運転手さんに降りる事を告げて、
聞いてみたところ読谷村には行かないし
戻るしかないと説明される。

嗚呼!案内係は北海道生まれのおじちゃんだったと思い出し😱ショック!

しかし、降り立った小中学校前は何とも和かで25年以上前にカナダのオンタリオ州ロンドンでも、同じ経験をして風景に助けられた記憶が甦った。

残り、4%のスマホでバス停の写真を撮みゆき先生に送信。
宿のオーナーとみゆき先生が到着するまで
口笛を吹いたり、ミニハーモニカで遊んでいた。

かわいいブラウンのタントがバス停留所へ到着したとき、スマホの電源は切れていた。

間一髪助けられ、車に揺られながら今来た道を戻る。
雨上がりの空に虹🌈が架かったと聞いて
少しホッとした、。

「エミさんのお迎えに行ってみたら虹が
架かり綺麗だったわ♪見られてラッキー😆💕」

と少女の様にはしゃぐみゆき先生に助けられる。
オーナーさんは多忙な中、仕事帰りに車を出してくれたと聞いて申し訳ない気持ちだったが、タイミング良かったと言ってくれた。

読谷村に到着。

車を降りた瞬間に風がくるくると回り
わたしを通り抜けていくのがわかった。

~Muchos Bientos~

風の集まる場所へ到着した。

Part 2へ つづく









ええ加減といい塩梅のお話。

鬼さんコチラ手の鳴る方へ

今年は豆撒きが適当だったような。
息子に任せて豆を食べ忘れていたような。

さて、

《あなたはいい加減な人》

そんな事を面と向かって言われたらどんな気持ちがするだろう?

人はあたかも自分が正しいと思っている生き物だが、そう思っているのは本人だけである。

自分のモノサシに人を当てはめようとすると
計りかたにズレが生じる。

お料理に例えてみよう。

砂糖大さじ1
塩小さじ1
しょうゆ大さじ2
みりんは適量

この合わせ調味料で何が作られるか創造できる人もいるだろう。
わたしの場合は肉じゃがだ。

でも、お砂糖はこんなに入れたくない。
だから少し減らしてみる。
みりんが切れていたら、日本酒を代わりに使うこともある。

こんな風に日々、都合は変わり自分の味覚により調整する。これが家庭料理の醍醐味でもある。

宮古島でお神酒を作っている女性がいる。
お神酒とはお酒ではなく、神様へ備える発酵食だ。子育てまっただ中の彼女は島に嫁ぎ地元に暮らすおばあたちより、口伝で作り方を教わったそうだ。
そのときの話がとても面白かった。
おばあに何度聞いても作り方は

こんな風にこう。
このぐらいをこう。
こうやってこう。

と、いっこうに詳細は掴めない。
しかしそれこそがあんばいなのだ。
このあんばいとは塩梅と書くのだが
お米と麦糀谷の割合を数値で示してはいけないのだ。

これは、実家であんころ草餅を美味しく作るコツを聞いたが全く同じ。
すべて塩梅なのだ。
塩梅とは頃合いであり、ええ加減のこと。

経験や積み重ね、もって生まれた感覚
匂いや風の流れ、気候でも違ってくる。

地域によっても違うだろうし
各家庭でも違ってくる。

西と東、南と北ぐらい違う。

冒頭の

いい加減な人とはわたしのことである。

確かに時間の過ごし方や取り纏め方
見ようによってはそう見えるかも知れない。

ただ、それは片側から一方方向で見たらそうなる。

わたしは常に大切にしているのは人とのご縁である。
人が好きだし、大抵の人に対してフェアに
付き合っている。

相手が大物だとか、どんな会社に勤めているとか、収入がどのぐらいとかでは図らない。

どちらかと言えば、表面的な事より内面
表情のひとつひとつ
言葉の端々にあるニュアンス
そう言ったバランスを見ている

料理に例えたが家庭料理程高級な料理は無いのだと断言できる。

そこには、母や祖母から口伝で伝わる
ええ加減がある。

いい加減とええ加減では大きく違うが
あいうえおで言ったらうの次だ。

うとは卯の花のう
嬉しいのう
生まれるのう

うの次ぐらいでおの前ぐらいの関係でありたい。

そのぐらいの距離感こそ
ええ加減な塩梅となるのだから。

渡る世間に鬼ばかりいない。
鬼は外 福は内
ええ加減な豆まきだと鬼が現れるのかい。

ミラクルは起こすもの✨✨✨

f:id:emikobo45:20210205160555j:plainほんまるラジオにてラジオ収録出演してきた。

早朝から起きるハプニングの連続。

一見するとそれはとてもネガティブな要素を
含むモノかと思っていた。


ザ・ロイヤルパーク汐留を後にした9:45をゆうに回り駐車場へ急いだ。

車の助手席のシートへ座り時計を見ると9:53
地下から地上へ上がり築地へ向かう。

Googleナビで指示出した。
安全運転で進み現地到着したのが10:15

スタジオ入りは10:15を回っていた。

基本的に仕事やアポイントのあるとき
10分前には着きたい。
余裕を持ちたいから30分前倒しにしてる。

電車の遅延や車の渋滞はやむ得ないこともあるが、遅刻するのが嫌なのだ。

しかし、昨日はどう考えても遅刻だ。
大切な話なので中座することもできなかった。

バタバタと到着!
スタジオへ入ると焦ってるわたしと真逆の空気が流れていることに気づく。

「ごめんなさい!遅くなりました!」

ホンマルラジオとはアプリ視聴でいつでも
楽しめるインターネットラジオ番組。

今回お誘いくださったのは半沢ご夫妻。

隊長ことご主人の半沢健さんはオペラ歌手でありボイストレーニングを使ってのコーチングをされている。

また、奥様の半沢富士子さんはヒーリングウェーブや勾玉作家をされている。
築地マディラ局で番組パーソナリティされる。

この日は歌を一曲。
あとはトークを合わせて30分。

午前中のハプニングの連続で頭が上手く回らない。
ドレスコードのあるラジオ番組に合わせドレスを持参するも着替える気持ちにならず
ステージ衣装のワンピースでそのまま歌い始める。


僕の経験からいくと3テイクぐらいすると燃え付きるからね。

そう言って隊長はわたしの歌声に合わせてリズムをとって踊っている。

ふうにゃ隊員はわたしのワンピースを見て

「エミちゃん、魔法使いみたいよ」

とシンデレラの様な大きく背中の開いたドレスと綺麗にメイクアップした美しい姿で笑う。
スマホから音源を出してみるが途中で落ちてしまって、うまく出力できない。
わたわたとする中、なんとか引き出し
編集の秀さんにお願いする。

1テイク、2テイク、
あんなに揺れていた心が唄うごとに気持ちが

穏やかになっていくのがわかる。

3テイク目に入るとスーーっと気持ちに余裕ができる。

オリジナルの曲
食べものに感謝

この曲を作っていただいてから何度も繰り返し歌って来た。

スタジオの天井まで声が振動すると
全身でや喜びを感じているのがわかる。

2番の歌詞

『カレーライスが大好き
野菜は少し苦手なの』

と歌っている瞬間🥕をイメージしていると

コーナーを横切りスタジオの正面に
コープのトラックが通りすぎる。
そこにはカラフルな野菜のイラストが大きくラッピングされている。

歌っていることが幸せ。

番組収録がはじまり、流れるようなおしゃべりと軽快なお二人のやりとり。

持ち込んだ寺田本家の五人娘は自然酒、
千葉県香取市は両親の故郷、わたしの生まれた場所が神生(かんのう)である。

番組収録を終えて、このスタジオに広がる温かいエネルギーを感じる。
ワクワクと嬉しい気持ちになり、再びここへ
来て歌っているイメージが見えた。

お礼を言って、開催中の個展会場へ向かう。

地下鉄新富町の駅の道順を聞いて、振り替えると見送ってくれる笑顔があった。


地下へ降りる階段の回りを見渡す。たくさん荷物を持っていたので、エレベーターを使いたい。
しかし見当たらず。横断歩道を三回渡り
コーナーを見るが見つからず。
諦めて階段を降りようとするが、トランクを
持ったまま佇むおじいちゃんが前にいる。

しばらく待ったが、降りる様子がないので
先に降りようと声をかけた。

「お先にごめんなさい。階段しかないなんて大変な駅ですね。」

すると、おじいちゃんは

「おー、ゆっくり降りるからどうぞ」
と返してくれた。

一旦荷物を持って踊場へ向かった。
階段の下から覗いて見たが、降りられない様子。

「今、荷物置いたらそっちへ戻るから待っててね♪」

おじいちゃんの元へ。

トランクの荷物は何かズッシリと重くて
これは明らかに無理だろうという状態。

「先に荷物持って待ってるからゆっくり
降りて来てね。」

すると、階段の後ろから大きな声で

「はーーー!こんな事もあるもんだ。
神か仏か。」

とおじいちゃんの声がこだまする。

階段はまだまだ下へ続いていたので
両手でトランクを持ち上げて、ゆっくりと
下へ下へ向かう。

「はーーー!こんなありがたい事が起きるなんてあははは!」

と大きな声を出している。

やっと階段が終わり、改札口に向かうところでおじいちゃんに聞いてみた。

「お父さんはこんなに重い荷物もって
どこへいくの?」

すると人通りのあるところでトランクを開きはじめるおじいちゃん。

「わたしゃこう見えても、作詞家のはしくれなんですよ。ちょっと待ってね」

チラシとCD を一枚ずつ渡される。

「わたしは今、ラジオ収録で歌を唄ってきたところなの。」

そういうと、おじいちゃんはこう言った。

「国民共有の文化的資産となっている
僕の歌を唄ってよ。著作権なんていらないからさぁ」

名刺を二枚頂戴して読んでみると確かに
作詞家後藤吉助と書いてある。

この方、素晴らしい作詞家さんで
韓国と日本の友好を結ぶ詩をたくさん生んでいる文化人であった。
その日あった友達がネットで調べてくれて
驚いた👀

有楽町へ行くも言うので、駅のホームで見送りバイバイ👋

今朝も9時頃ぼんやりと不思議なことって
起きるものだと考えていた。
すると、スマホの電話が鳴った。

「昨日はありがとう。こんな素晴らしい事が起きたからお礼にプレゼントをしたい。
僕の未発表の曲をあなたに贈りたいから住所を教えて欲しいんだよ。」

わたしはの二曲目のオリジナルがやって来る。

あんころ草餅の記憶

昨日の葬儀へ参列し昔の記憶が甦った。


千葉県香取市に両親の実家があり、田舎へ行く事がどんどん遠退いていた。

そんな時、父のお兄さんが他界をした。
90歳だった。
父はそれより6年前に旅立った。

葬儀とはいってもコロナ禍の最中でもあり
家族葬でこじんまりと。

家族は悲しみより感謝の声を伝え、懐かしい
いとこ同士の顔合わせとなった。

わたしは父方のこどもでは最年少であり
いつもチビッ子扱いだった。

隣の席に座るおばあちゃんの声に一瞬手を止める。チラッと見たら、昔懐かしい人が微笑んで座っていた。

桐谷のおばちゃん???

いや、そんなはずない。
もう、亡くなって20年程が経つし。

父の1番上の姉であり、父にとっては育ての親の存在、わたしにとってはおばあちゃん的方だった。

ご挨拶してみると、その叔母の長女さん。
年は30歳も違うので

わーエミちゃんが大人になってる❗
と皆さんが笑う。
そりゃあ、50年以上生きているもの。

そんな同窓会さながらの控え室で、
《あんころ草餅》の記憶がよみがえる。

昭和元年のおばあちゃんが作っていた味とヨモギの薫りが一瞬鼻を抜ける。
その話し声と田舎の訛りにわたしの奥にしまっておいたチビエミが喜んでいるのがわかる。

あんころ餅の作り方を聞いてみたらコツがあると言う。
ヨモギは新芽のみ。茹で方はやや硬めに。
それは、すべて塩梅《あんばい》と。

そんな昔懐かしい声や皺皺の笑顔に包まれて、ずっと幼い頃にあった幸せな時間を感じてきた。

叔父さんのお陰様で、コロナ禍とは思えない
ひとときを過ごしてきた。
人が亡くなる事は決してネガティブなことでなく、お別れの儀式は優しい時間だと感じた。合掌。

地引き網とパラサイトのはなし。

お久しぶりの地球はともだちPJ blog♪
昨年、10月このアカウントが開けなくなった時にお友達から紹介があり、standfm をはじめました。
わたしの思うオモシロイ人々にインタビュー形式とその日その時感じるままにライヴ形式にてライヴ配信しています。
しかし今回はラジオトークより文章がいい。
そんな気分になったのは、人が絡んでいるから。
Standfm!
地球はともだちプロジェクト🌍


さて、今回は少しヘビーなはなし。
この話は最近出会った人々から学んだこと
教わったことなどを綴ります。

最近、わたしの周りでウゴウゴと蠢く。。。
人と人の間に起きる事件。

基本的にわたし自身が変わり者と認識しているので、その周りにいる人もちょっと変な人が多い(笑)確かに!

画家の友人がいる。かなり変わっている人。

ある時、どうやったら壁画が描けるの?
そういう仕事ってどうやって取っ手来るの?
わたしも壁画を描きたい‼️

そう言って私の前にやって来た。

画家 三木彩嘉 52歳
一緒にライブアートした作品

彼女は幼い頃虐待にあった経験を持つ。
その呪縛を手放す為にきっと画家になったのだと思う。

絵の世界に入って行くと、時間軸が変わり
自分だけのパラレルワールドに入れる。

その作品は少し陰影があり、夢の中をさ迷う感覚にある。
しかし、彼女の描く絵の世界に変化が現れてきた。
今日はその作品展が最終日だ。

絵が上手いから絵を描いている。
こんな人は五万といる。

しかし、彼女の場合は少し違う。

《絵が無くしては生きて来られなかった》

のだろう。

口下手で、空気を読めなくて、話していると時々違う世界にふわふわと消えてしまいそうなる。

そんな、変な人(笑、ごめんちゃい)

初めて出会った頃にかなり衝撃発言をしていた事を覚えている。

『わたしは友達とかいらない。親しくならない様にしている。必要ないと思ってる』

なぜ?

わたしの前に現れてそんな事を言うのか。
そこに興味深く反応してしまった。

そこから半年程、時間を共にする事が増えた。

わたしのワークショップに参加してくれた。
小学校での壁画では、こどもたちの通る足跡をぞうきんで一所懸命消して回ってくれた。

《人が気がつかない事に気になる。
人には見えていない部分が見えている》

そういう視点がある。
お陰様で校内がアクリル絵具で汚れることなく、こどもたちはワークショップを終える事ができた。

それからある時彼女はこう言った。

「わたしは人が怖かった。信じてきた人に言葉などで傷つけられたりしてきたから。。。
でも、少し変わりはじめたよ。」

自分に自信が持てないと言っていた人がメキメキとやる気に漲り、何とか個展を開催したいという想いを受け取った人たちがいた。

わたしとのミーティングがあり同じエリアを回っていたので、わたしもギャラリーの下見に同行した。
貸ギャラリーego オーナー服部雄二氏と対面。(アーティストの発掘と日々のワーク。
害獣駆除のハンター)

今回、彼女の個展に関わった燈師《あかりし》がいる。
これは、灯りを調整し空間を表現する仕事。

その人は服部高久氏。
(おー!ここでダブルハットリくん

大きな仕事もされており、神社仏閣に灯りを照らすなど《みあかし》の技術が何とも言えない美しい世界を生み出す。

この方、元々テニスコーチでありコーチングのプロである。
理解できるように、相手に寄り添い説明することに長けている。

大きな仕事も小さな仕事も全力でサポートをする。
今回も人生をかけた個展に全身全霊でアドバイスしてきた。

素晴らしい仕事をしている。
(この方、いつか世界へと動き出すよ✨)

さて、そんな彼があるときこう言った。

【えみさんは地引き網タイプ】

「一本釣りじゃなく地引き網でいっぺんに
ガーっといろんな魚を引っ張って来る。」

「その魚を一匹ずつ網から取り出して
食べられるのは調理して、今すぐ食べられないのは生け簀で泳がしています。」

そう言えばそうなのかも。

活きが良い魚はどんどん売り込みたい。
ちょっと珍しい魚は観賞していたい。
また、弱っている魚はじっくりと静養させ
他を攻撃する魚には渇をいれる。

でも、どれひとつとして要らないモノはない。
全ては大海原で共存共栄し同じ空間を共有しているから生きている。

今回、この魚たちに着いてくる寄生虫の存在も知った。
血を吸いながら、生きていく。
更には寄生した魚を人が食べたら、食中毒の症状がでてしまう。それが、アニキサス。

そうしなければ生きていけない。
だが、アニキサスだってやはり生きていかなきゃならない。

だとしても、魚の世話はしても、それに貼り付く寄生虫までお世話する気はない。

アニキサスは自分の存在など知らない。
パラサイトの世界に生きているのだから。

SDGs 壁画アートワークで伝える循環型社会

深夜に目が覚め再びblogを綴る。

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市川にある鬼高小学校で6年生169名と壁画のワークショップを開催した。1階~2階の階段部分の壁画制作。
2階に通じる廊下~スカイライブラリーという名乗りの廊下を利用した図書室。

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新型コロナウイルスの影響によりオリンピック延期、関係者団体の女子マラソンが中止となる。

廃棄寸前の新品ブランドウェアを使用し
循環するウェアのワークショップだった。

この壁画アートワークの活動はプロボノ
プロが技術を伝えるいわゆる地域社会貢献活動のひとつである。


わたしは元々、創作作家である。
ストーリーに合わせた作品づくり、小さなjewelryなどを制作してきた。

この壁画アートワークをスタートして早15年が経過。
それまでの創作活動とはサイズ感も全く違うスケールの大きな仕事。

きっかけは古い市民プールの外側にある更衣室の壁。
それはそれは、おどろおどろしく荒んだ
暗い雰囲気だった。

1996年に環境アートのecodecoKOBOを立ち上げ、地域ボランティア協力で教室を開講。

そのきっかけから、東村山市の環境部の
おじちゃんより声をかけていただいた。

『おいよ、壁画って描けるかい?』

その一言に乗せられて、描いた壁画。
地球から🌱がぴょこんと飛び出たイラストに
手形粘土で作ったこどもたちのオリジナルパーツを張り合わせたコラージュ作品。

当時5才の娘がその絵を見て言った

「ママ、地球はともだちだよね♪」

これが後に【地球はともだち 】のきっかけになった。

ある日電話がかかってきて、老朽化により
取り壊すという。せめて、こどもたちの手形だけでも取り外しをと切望したが叶わなかった。
そのときに決意した。
カタチあるものは、いつか壊れるのだ。
これは、メッセージだ。
必ず【地球はともだちプロジェクト】を動かす時がやってくる。


あれから15年の月日が経ち、わたしは今も
壁画を描いている。
間に宇宙人の息子を育てるという偉業もあったので、ブランクがあった。

しかし、マインドは0になった事がない。
常に新たに描けるエネルギーを温存しておいた。

子育てとは果てしない。

生まれて間もない乳飲み子を育てるところからひとりで生きていけるまで。
6年前に離婚してより、シングルマザーとなる。まだ、二人のこどもの養育は続いているが自立した生活へと向かっている。


さて、昨日の鬼高小学校ワークショップは。。。
あと10年したら建て替え計画している
築60年は経つ市川市立鬼高小学校にて壁画アートワークへ行ってきた。

学校の校歌に合わせ、下絵を考案。

真夏の最高気温の頃にペンキ作業をした。
おやじの会のみなさんも一丸となり、こどもたちのためにと下地塗りの作業にご協力いただいた。

PTA会長の冨田さんもおやじの会の立ち上げの中心人物で、その統率力と言ったら素晴らしいものがあった。

普段はそれぞれの職種で働くパパさん。
2020年はコロナ禍でこどもたちにとっては
短い夏休みだった。
この2日間で仕上げたペンキ下地と下絵。

残暑が厳しく予定日の月初から月末へと
開催日をずらしての運営となった。
これが好を創した。

密にならない様な手順を踏み、担任の先生方とは二度打ち合わせ。
コロナ情報にも細心の注意を払いつつ
やりとりを重ねてきた。

各クラス単位での説明会をし、
SDGs》国連が打ち出した2030年に向けての持続可能なエネルギーへのアクションと
アートワークについてを対話する。

生徒のみなさん、よくご存知で温室効果ガスによりCO2の増加が生み出した環境破壊。

この排出と酸素のバランスを同じ量にする2050年への働きかけは、こどもたちが背負っているのだ。

壁画を描きつつそんな未来への記憶を繋ぎ手になってくれたら嬉しい。


さて、絵具を指で直接触り感触を試してもらう。この塗料はリキテックスの水性タイプを使用、乾くと耐性となる。

1人1枚クリアファイルを持ち、三色の絵具を手にする。
今回は薄手のゴム手袋をしての作業となる。

海・太陽・雲・松・白鷺・花

6つのキーワードに合わせて、担当を決め
一クラス8班、32~33人の総勢169名。
これが六年生の卒業制作ともなる。

マスクに帽子や手袋をしていても、笑顔を感じられる。
みんなテンションがあがっていた。

『躊躇しながら遠慮がちに描く子も
大胆に大きく波を描き笑う子も
太陽は少しづつ広がり雲の流れを感じる。
黒松の葉は青々と伸びて
白鷺は大きく飛び立ち、花が咲き誇る。』

https://www.instagram.com/p/CDZg1_0MP4a/
鬼高小おやじの会×Emikobo
https://www.instagram.com/p/CDZhUresVqF/
鬼高小1階階段壁画【海流】千葉県に入ると潮の薫りがする
https://www.instagram.com/p/CDdvRCKMAms/
鬼高小の校歌より校舎1~2階~雲が湧き雲が流れる~
https://www.instagram.com/p/CDdvix-sT9_/
鬼高小 2階廊下~鳩が舞い鳩がはばたく~まだ、鳩の描きはここから。
https://www.instagram.com/p/CDdvr4LsKvR/
鬼高小 2階~3階~黒松が照りはえる照りはえる~

校歌のイメージに広がる世界観を感じる。
180分で休む暇なくツアーの如く続く。

ああ、あれはディズニーランドのキャスト時代にツアーガイドだった20代を彷彿とさせた。
(懐かしい✨50代には体力が必要だわ。そうだ、筋トレを復活しよう。)

今朝は何度もマッサージ機に乗っかりながら
昨日の流れを思い出す。

コロナ禍だとしても、リアルな体感が必要だって事を教えてくれた。
当然、このイベントを企画遂行するには
学校側の理解や保護者の協力があってのこと。

彼らの10年後、建物が壊されてしまっても記憶に残る時間になったことは間違いない。

その担い手たちにメッセージを伝える仕事こそがこのプロジェクトのミッションだ。


《企業スポンサー》
三和製作所

*市川J:COM放送10/7再放送あり
《ど・ろーかる》よりアプリでも視聴可能。

*よみうり新聞掲載予定