chikyuwatomodachi’s diary

地球はともだちのお話

あんころ草餅の記憶

昨日の葬儀へ参列し昔の記憶が甦った。


千葉県香取市に両親の実家があり、田舎へ行く事がどんどん遠退いていた。

そんな時、父のお兄さんが他界をした。
90歳だった。
父はそれより6年前に旅立った。

葬儀とはいってもコロナ禍の最中でもあり
家族葬でこじんまりと。

家族は悲しみより感謝の声を伝え、懐かしい
いとこ同士の顔合わせとなった。

わたしは父方のこどもでは最年少であり
いつもチビッ子扱いだった。

隣の席に座るおばあちゃんの声に一瞬手を止める。チラッと見たら、昔懐かしい人が微笑んで座っていた。

桐谷のおばちゃん???

いや、そんなはずない。
もう、亡くなって20年程が経つし。

父の1番上の姉であり、父にとっては育ての親の存在、わたしにとってはおばあちゃん的方だった。

ご挨拶してみると、その叔母の長女さん。
年は30歳も違うので

わーエミちゃんが大人になってる❗
と皆さんが笑う。
そりゃあ、50年以上生きているもの。

そんな同窓会さながらの控え室で、
《あんころ草餅》の記憶がよみがえる。

昭和元年のおばあちゃんが作っていた味とヨモギの薫りが一瞬鼻を抜ける。
その話し声と田舎の訛りにわたしの奥にしまっておいたチビエミが喜んでいるのがわかる。

あんころ餅の作り方を聞いてみたらコツがあると言う。
ヨモギは新芽のみ。茹で方はやや硬めに。
それは、すべて塩梅《あんばい》と。

そんな昔懐かしい声や皺皺の笑顔に包まれて、ずっと幼い頃にあった幸せな時間を感じてきた。

叔父さんのお陰様で、コロナ禍とは思えない
ひとときを過ごしてきた。
人が亡くなる事は決してネガティブなことでなく、お別れの儀式は優しい時間だと感じた。合掌。