chikyuwatomodachi’s diary

地球はともだちのお話

ええ加減といい塩梅のお話。

鬼さんコチラ手の鳴る方へ

今年は豆撒きが適当だったような。
息子に任せて豆を食べ忘れていたような。

さて、

《あなたはいい加減な人》

そんな事を面と向かって言われたらどんな気持ちがするだろう?

人はあたかも自分が正しいと思っている生き物だが、そう思っているのは本人だけである。

自分のモノサシに人を当てはめようとすると
計りかたにズレが生じる。

お料理に例えてみよう。

砂糖大さじ1
塩小さじ1
しょうゆ大さじ2
みりんは適量

この合わせ調味料で何が作られるか創造できる人もいるだろう。
わたしの場合は肉じゃがだ。

でも、お砂糖はこんなに入れたくない。
だから少し減らしてみる。
みりんが切れていたら、日本酒を代わりに使うこともある。

こんな風に日々、都合は変わり自分の味覚により調整する。これが家庭料理の醍醐味でもある。

宮古島でお神酒を作っている女性がいる。
お神酒とはお酒ではなく、神様へ備える発酵食だ。子育てまっただ中の彼女は島に嫁ぎ地元に暮らすおばあたちより、口伝で作り方を教わったそうだ。
そのときの話がとても面白かった。
おばあに何度聞いても作り方は

こんな風にこう。
このぐらいをこう。
こうやってこう。

と、いっこうに詳細は掴めない。
しかしそれこそがあんばいなのだ。
このあんばいとは塩梅と書くのだが
お米と麦糀谷の割合を数値で示してはいけないのだ。

これは、実家であんころ草餅を美味しく作るコツを聞いたが全く同じ。
すべて塩梅なのだ。
塩梅とは頃合いであり、ええ加減のこと。

経験や積み重ね、もって生まれた感覚
匂いや風の流れ、気候でも違ってくる。

地域によっても違うだろうし
各家庭でも違ってくる。

西と東、南と北ぐらい違う。

冒頭の

いい加減な人とはわたしのことである。

確かに時間の過ごし方や取り纏め方
見ようによってはそう見えるかも知れない。

ただ、それは片側から一方方向で見たらそうなる。

わたしは常に大切にしているのは人とのご縁である。
人が好きだし、大抵の人に対してフェアに
付き合っている。

相手が大物だとか、どんな会社に勤めているとか、収入がどのぐらいとかでは図らない。

どちらかと言えば、表面的な事より内面
表情のひとつひとつ
言葉の端々にあるニュアンス
そう言ったバランスを見ている

料理に例えたが家庭料理程高級な料理は無いのだと断言できる。

そこには、母や祖母から口伝で伝わる
ええ加減がある。

いい加減とええ加減では大きく違うが
あいうえおで言ったらうの次だ。

うとは卯の花のう
嬉しいのう
生まれるのう

うの次ぐらいでおの前ぐらいの関係でありたい。

そのぐらいの距離感こそ
ええ加減な塩梅となるのだから。

渡る世間に鬼ばかりいない。
鬼は外 福は内
ええ加減な豆まきだと鬼が現れるのかい。