chikyuwatomodachi’s diary

地球はともだちのお話

こども食堂と教育、地域活性化ビジネスのはなし


書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街
by リクルート住まいカンパニーf:id:emikobo45:20191119040412j:plain
かなり大型よこはまばし商店街




地方創生や地域活用

最近、SNSで広告でもよく見かける。

そんなことは20年以上前にわかっていたことだが
この度、国の予算も投入されるとやらで
このテーマがメジロ押しだ。

さて、あっちこっち国内旅をしていると

シャッター通りが目につく。

現に、地元でもシャッターの目立つ町は多い。


しかし、今も商店街が頑張っているところは

空き店舗はあるものの、何とか店舗のシャッターが

開いていて活気づいている街もある。


この2つの違いは何だろう?

ズバリ人である。

 
こんなに早く答えを出してはブログの文字数が
早く終わってしまいそうだが、そうでもない。
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この人について考えてみたいと思う。


町に大型スーパーが繁盛をはじめた昭和40年代後半頃から、それまで活躍していた商店街から
客が外に流れはじめる。

それまで、個人で何とか切り盛りしていた商店の
親父さんたちも平成30年代には70歳後半。

跡継ぎ問題も今じゃ話題も無い。

息子たちは大学を卒業し、大手企業に勤めている。

そんな親父さんから私に声がかかったのは

商店街にこども食堂を開きたい!という相談だった。

国分寺の駅からひたすら自転車で向かうと
そこは団地が立ち並ぶ古いアーケード。

角の酒屋が親父さんの店。

どうやって知り合ったかと言えば、
親父さんの奥様いわゆる女将さんとのご縁だ。

さいたまアリーナの食品イベントで出会った。
後妻で嫁いだ女将さんは酒屋を支えてきた。

しかし、老夫婦には限界がきていた。

何とか、こども食堂を商店会で開催できないか?
という話だった。

こども食堂の名前が世に出回ったのは
2015年頃だった。
八百屋の女将だんだんの近藤さんがつけた名称だ。

私は、当時こどもアート教室
ecodecoKOBOで
火を使わない料理をアートしちゃおう!など
やっていた。

そのきっかけは、小学校の土曜講座だった。
詳しくは折に触れるが、ここからのきっかけで
こども食堂を展開。

あっちこっちで講座を開いたり
経営者の朝会やボランティアサポート団体
YWCAやロータスクラブ、などで
講話や卓話をしこども食堂の必要性を伝えた。

そんなご縁でこの商店会の会長である親父さんとも話をした。

親父さんは若い時からやり手で人望も厚く
きっと今までは一線で活躍してきた
男気を感じた。

しかし、年老いて病気もある。
今の自分では無理だとこぼしていた。


「小さくても人が集まることが大事です。
大切なのは居場所づくりなんです。」

翌年から小さなカウンター居酒屋をはじめた。
そこには、いろんな人が集まって来るらしい。

こども食堂を開かなくても
人が集まる方法論はいろいろある。

開いたこども食堂にこどもが来ない問題
なんて話もよく聞く。

確か、あの時、私の話した未来予想はこうだ。

「例えば小さなカウンターだけの居酒屋には
美味しいお酒も並んでる。
でも、こどもがふらっと通りかかってお腹を空かしていたらおにぎりをちょっと寄って食べて行きなさい。これでも充分。
こども食堂は身構えなくて良いんですよ。できる形でやればいいんです。
隣近所のおばちゃんがご飯くれるぐらいのことなんです。」

あれから数年どうしているかな。

親父さんの居酒屋にふらっと行ってみるかな。
ちょっといい話が聞けるかも知れない。

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地方創生にまで繋がるかやってみなきゃわからないが空いているスペースがあったら
ちょっと寄って来なよ〜のスペースづくり
やってみたら結構いいかんじになる。

また、国がお金を投じるなら
貧困層のこどもに向けるのは教育だ。

親にお金を払っても、正しく使われるとは
限らない。
貧困家庭の最初に払うお金は携帯電話代金だからだ。
パチンコに払って飲み代で消える人もいる。


国の借金は国民の借金。

使い途を間違えるから足りなくなっただけ。

花見に使うお金は教育に回してみてよ。

そしたら、20年後にもっとキレイな花が咲くから。

それを語るために国会に近いところで
地球はともだちプロジェクト会議は
静かに開かれているのだ。