chikyuwatomodachi’s diary

地球はともだちのお話

壁を越える、自分を超える、タイムトラベル。

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私が3歳(チビエミ)の頃
最初の壁は家の黒い門だった。

黒くて高い成人男性の身長を越えるほどの
大きな門。

この門を越えると、外の世界がある。

できるできないなどは一切考えず

ただ、ひたすらに登り門を越えると

自由が待っている事。

そんな感覚で、あの頃のわたしは身長の三倍もある所を難なく乗り越えていた。

しかし、少しづつ成長すると共に自分にできない
理由を増やしていった。


22歳、大学卒業の旅行中。

アメリカ国籍と日本国籍を持つ
女の子が空港で待っていた。

彼女の名前はNaomi,
 
アルバイトでツアコン(ツアーコンダクター)をしていた。
ニュー・オーリンズの街を案内してくれたり
ツアー以外のオススメポイントなどを教えてくれた。
知り合ったNaomiから感じるのは
文化や感覚の違いだ。
開放に満ちた自由の国の生き方。

旅行が終わった後から手紙のやり取りがはじまり
再び、アメリカの地に訪れた。
 
Naomiはいわゆる肉食系。

声がかかる男性に対しては、とても積極的に
アプローチする。

その頃、カメラマンのコリヤンアメリカンの男性と付き合っていた。

その男性がたまたま私の学生時代に描いた絵を見て
こう言ったのだ。

「なぜ、エミは就職する必要があるんだ?
 画家になったらどうなんだ。」

私の心情では、日本で画家で食べていける人は
一握りだ。
そんな事をして生きていけるのだろうか。

そんな気持ちがあり、チャレンジする気持ちは無いか?と聞かれたが 

「ムリだよ〜。日本では〜。」

などと、応えていた。

そもそも、美大を出ていないし…。


そう、私は大学受験で美大を落ちた。

武蔵野美術大学女子美術大学を受験し

ムサビでは280倍の空間デザインを
ジョシビではテキスタイルデザインを

補欠でジョシビの順番待ちをしていたが電話はかかってこなかった。

滑り止めに受験した。

杉野女子大学被服科とドレスメーカー女学院

この2つからは合格通知が出ていた。


昭和一桁の父から
「女の子は大学なんて行かなくていい。
もし、受からなければ浪人は認めない。」
 
と釘を打たれていた。

当時の私は公立高校に通いながら、時給470円の格安な団子屋で真面目にバイトをして貯めたお金で芸大生にデッサン教室で絵を習いに行く。

美術部には所属せず、美術教師の計らいで
バイトの無い日はデッサンを絵描きに通う。

美大には行けなかった。
という、コンプレックスがあった。
 

そんな私があれから30年近くたった今
壁画を描いたり、アートワークを主体として
仕事をしているのには理由がある。

それは、原点回帰だ。

「素直に生きてごらん」 
 

黒い門を登り切る私の目には、外の世界が見えていた。

恐らく、5年ほど前にノートに綴った。
 
えみさんのテーマ【仕事】って何?

自分の得意とすることで、収益を稼ぎ出す。
本当に自分でやりたいかどうか決める。
未来が見えている。
形ないものを創り出す。
イデアた創造のチカラがある。
描く喜びと、私の描いた絵を見て喜んでくれる人がいる。


と、記載されていた。

しばらく、物入れから出さずにいたブルーノート

私へのメッセージは既に書かれていた。

 
昨日、一人の女性が私に会いに来てくれた。

彼女は壁について話していた。

つまり、行き詰まりだ。


しかし、このメッセージはチビエミから
届けられたのだ。

そう。30年前の私に!

20年の月日を経て、やって来た
タイムトラベルだ!

チビエミの精神が消えた訳でなく
蘇った。

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私に音楽やアートのチャンスをくれた母に
今、創造し絵描き、喜びを共有できること。

厳しかった父からの教えがあり
生き抜くチカラがついたこと。

全てのことに感謝し
壁を超える
その準備は整っている。

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ひとつぶの種に願いをこめて。