chikyuwatomodachi’s diary

地球はともだちのお話

ヒューマンウォッチング、カウチ族vsスマホ族

あかね雲 昔も今も
変わらない
そびえ立つのは せいたかのっぽ
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東京タワーを久しぶりに見た。

その近くでアーティストの友人ken-g のライヴアートがあった。
会場はR-startup-studio
ここの事業や視点はとてもいい。
この話はもっと重要なので、のちほど綴ることにしよう。

さて、昨日はあさイチ壁画を描き
夜は麻布でライヴアートに参加し、エキサイティングだったが、帰りの地下鉄東西線
電車は混んでいて
少し足が怠かった。

目の前の席の人が乗り過ごしそうだったのか
急に閉まる扉へ向かって駆け降りる。
ちょうどよかった。と思って座った。

隣のお兄さん、とは言っても40~50代以上。
いわゆる中年世代。
iPadを片手に、右側の棚みたいなところへ
スナック菓子を置いてポリポリパリパリ。

その手を宙でヒラヒラすると粉を落とし
すぐにiPadで何かを検索してる。
(油でギトギトしないのかしら?)

時折、小さな声でしゃべる。

しかし、ちょっと私に肘がぶつかると
すぐに挨拶をする。
決して、悪い人ではなくマナーの問題なのだ。

ここは彼のカウチか(笑)
と思わせる長い地下鉄タイム。

夜なので、窓越しに映る顔を見てみる。
まぁ、普通の中年。

足の下にはビールのロング缶を置いて
ときどきグビリとやっている。
金曜日の夜にコロナ禍で一杯ひっかける
のが電車内。

その様子を見る向かい側のサラリーマンたちの好奇の目。

スナック菓子はプンプンとチーズの匂い。
フリトレーかな、強めの香り。
夕飯を食べて居なかったから、刺激が凄かった。深夜22:00の40分間、東西線直通東葉高速線の出来事。


さて、ここで電車の過ごし方について
考えてみた。

見渡せば、誰もが一心不乱にスマホをいじっている。
そんな中でもカウチ族は少ない、少数派。

そのお兄さんは周囲に対して何の躊躇いも無く楽しそうにパクパクやってる。

それに対して、スマホ族は多数派。
電磁波の問題や小さな画面で何を見ようと
おとがめ無し。
スマホに集中し過ぎて、降りる駅でも
スルーしてしまうなんて光景も目にする。

こうして電車に乗っていると、全く飽きる事が無いのだ。

電車内で何かを食べたことはありますか?

わたしは飴やチョコなどはいただくことがある。小腹はちょいと空くことはある。

しかし、カウチ族のお兄さんはちょっと
変わっている人。
う~ん、かなりか。匂いの強いモノは気をつけて。それから、粉々したモノは周囲に
迷惑がかかってる。


スマホ族のみなさんはそれが当たり前に感じてるかもしれないが、これまた電磁波は
駄々漏れ。

で、わたしは超少数派。
電車内ではたいていお絵描きをしている。
たまに、小さい子どもからツッコみが
入るけど。

移動中はアイデアが溢れだすから
止められない。
お絵描きタイムの手を止めてヒューマンウォッチングしている、ちょっとユニークな時間だった。


さてと、もうすぐ最寄り駅に着く。。。
と、隣のお兄さんは急いで荷物をまとめている。
出したゴミや重そうなマイバックを4つ程。

そしてなぜか。。。なぜか最後にマスクを付けた。

えっ?今までマスクしていなかったよね?

その姿がちょっと滑稽だった。

神楽坂おもてなしツアーで話題!清潔感ってどんなん?

路地裏の朝顔揺れる
神楽坂
浴衣美人の
下駄の音響く
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昨夜の神楽坂おもてなしツアーはちょっと
身近なメンバーだったこともあり
砕けた雰囲気でお酒の勢いも後押しして
ちょっと空気が違った。

熊本から参加された愛氣法の創設者は仙人の様に白髪混じりの長い髭を蓄えていた。

その様子が清潔感が無いのでは?
というご意見を才能学でおなじみの七条さんが切り出した。彼はサッパリ短髪髭無し派。この髭ばなしから談義がスタート!

当然、お酒も2杯目以上。そこで、

『あなたの思う男性の清潔感とは?』

という問いをしてみた。

ホワイトカラーの
アイロンのかかったシャツを着て
ほどよい体格に引き締まっていて
髪の毛は長すぎず、襟足スッキリ。

そんなステレオタイプの清潔感がいいのか
どうかわからないが、アラフィフ女子の口から出た言葉は👇です。

【ジェントルマンがいい。】

そうです。
見た目の事よりも、立ち居振舞いや生き方までもにじみ出てしまうジェントル。
まさに紳士的かどうか。

この話題でボルテージは最高潮へ。

ツアーの船頭役、陽子さんはメチャクチャ笑顔でツッコミ。
男性二人がスマホに吸いこまれていく様子を見逃すことはなかった。。。。


確かにこの手の話題はなんだか評価されてるみたいで複雑かもしれない。
しかし、グラドル雑誌を見て批評する感覚ではない。心の在り方が見えるのだ。


どんな人が清潔感を感じるかという問いは
無精髭が嫌だからとか汗臭いとか、ファーストインスピレーションに関わること。

特に臭いというのは厄介で、ものすごく敏感にそれを感じ取り、動物的観測でその相手に対し自分のテリトリーに入れるかどうかを決めるのだ。

それをもカバーできるジェントルについて考えたい。

ジェントルとは紳士的という意味合いで使われる。古くは貴族の方を指しているが、ここでは前者で言う紳士的だ。


ある知人男性は見た目からジェントルマン。
ロマンスグレーが良く似合っている。
しかし、その方に感じるジェントルとは
見た目の格好良さ以上に行動が伴っている事であった。
人と人が出会った後には、相手の方が見えなくなるまでホームで見送って下さる姿に衝撃を受けた。

一見すると、相手は背中を向けて去って行くので氣がつかない。

それは何とも愛のある行動だ。


記憶を辿るとひとり出会っていた。
学生時代にアルバイトで出会った男子友達は20代前半にして既にジェントルを身につけていた。
おしゃべりしながら、乗り換え駅にて三人で歩いている。わたしは旅行へ行く前だったのか大きいトランクを持っていた。
乗り換えの電車がホームに入ってくると
わたしの手からササッとトランクを持ち替え
運んでくれた。
その行動は決してわざとらしくなく自然で
スマートだった。


またある時、朝のラッシュで地下鉄のエレベーターに乗りこんだ時のこと。
通常は先に乗った人がボタンを押しつつ、次の方の乗り込むのを待つ。
誰もボタンを押さないでいると、ドアが閉まろうとする。
杖をついた高齢者の方がゆっくりと乗り込もうたしていたが、目の前で閉まりかけてしまう。
誰も押さないままで、その方は乗れずに
スルーされてしまった。
ボタンの目の前にいた男性はスマホをいじっていた。気がつかなかったのかも知れない。

また、ある時の出来事。
早朝ホテルでの経営者の会で起業家のトップが集まる会へ行った。

そのエレベーター内ではドアマンの様に
笑顔で挨拶しながらボタンを押しつつ周囲に氣遣う80代のスーツ姿の男性。
あとになって知ったことは、リタイア後も
アルバイトを続けている高齢男性だった。

ジェントルとは年齢や立場に関係なく
誰でも身につけることができる。

しかし、意識的に身につけるには繰り返し
行動を起こさないとなかなかできない。

そんな事を思いながら
神楽坂ツアーを振り替える

毎週木曜日、汐留ロイヤルパークホテル24階ではじまるお茶会がある。
その氣心の知れた朝陽を浴びる会のメンバーは、遊び心も氣遣いも本音トークもできる
楽しい関係だ。

こんな大人時間を満喫させてくれた、
神楽坂おもてなしツアー主催の陽子さんも
いつも着物や浴衣を粋に着こなす姐さん。

おとなが楽しめる素敵な場所で、本音トークもいいじゃない。
神楽坂の街はわたしを大人空間に導いてくれる時間だ。

おお~ブルッた!夏の風物詩。

あなたには聞こえるだろうか?
人間の声以外に聞こえる、生き物の声や物質のメッセージを。。。。
と、まぁ。こんな感じで今週のお題に乗っかってみますわ。
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森の中に入って木を伐採してキャンプ場を作っている知人がいる。
そこへ言ってみると、何か伝えてくれる
メッセージの中に。

「何も聞いてなかったのに、切られてる。
怒っているよ。」

と言っていた。


次にお世話になっている会社さんの受付に置いてある多肉植物が枯れはじめていて、明らかに潤いを求めていた。
あまり枯れない植物だけに、関係者に確認してみた。すると、今まで世話をしてくれた
社員の女性が辞めてしまったという。

「ごめんね、お水をたくさん飲んで元氣になってね。」

土をゆっくりと手でほどいていく。
根腐れしていたり、乾いていたり、
狭い植木鉢の中に込み合ってしまい、パリパリと針金のように落ちる。

たくさん謝った。

謝るのは、無視されるという記憶に。

こうして時々会える時は、そっと手で触り

「ありがとう。今日もかわいいよ。」

とメッセージを送る。


そして、最近はこども美術館の仕事終わりに気づいてしまった臭いに反応。

倉庫から異臭がしていた。
なんとも言えない古い臭い。

水の流れないシンクの上に無造作に大量の筆や刷毛が置かれている。
その木の部分にこんもりとカビが生えている。

「臭いのは、これが原因だな。」

その、倉庫は作品のサンプルや備品をしまう場所なのだが最近掃除された様子は無い。

陽も当たらず、風通しが悪いのだ。

建物事態が、土を含む素材なので水分を吸いやすくなっている。
しかし、逆に言えば呼吸しやすい素材。

おそらく、気にも止められず長い間放置されていたのだろう。

そのたくさんの筆たちの声がワサワサと何か呟いていた。
これは、マズイ。

残り10分で全部洗って片付けるにはとても
一人では間に合わなそうだ。

しかし、筆たちは協力してくれた。

千と千尋の神隠しで出てくるお腐れ様の如く何年もお風呂に浸かって居なかった人の様に

「あ~~~~いい湯じゃ~」

とのことで、気持ち良く風呂から上がってくれた。

その日は仕事終わりがやや押してしまって、
帰りの道は観光客の引いた後。
道路はえらく空いていた。

ここでいつもなら、アクセル全快してしまうところが道の左側をゆったこらゆったこら
中年の女性が自転車をこいでいる。

追い抜くのを止めて、今日の筆たちからの
メッセージを思い出していた。

すると、ゆるやかなカーブを曲がった辺りにネズミ取りのお巡りさんたちがズラリと並んでいた。

こちらのゆっくりスピードに早く走ればいいのにと言わんばかりに、赤い棒の様なものを振っている。

「あ~~筆たちからのメッセージか!」

と足止めに感謝しながら、安全運転で帰宅の道へ。

あなたにも本当はあったはず。
幼い頃から見えないものが見えたり、
見えるはずのものが見えなかったり、
怖いと思うことが多々あったりしたことを。

海のゴミの法則(道徳観と倫理観)

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夜中に目が覚めた。
携帯で時間を確認すると、まだ3:15だ。

熱中症になりかける程の天候で、40℃近くをマークしていた。
たくさん汗をかき、水分をとった日で扇風機の風は生温く全身ビチョビチョだ。

ゆっくりとシーンと静まりかえったお風呂は
夜の海みたいで、落ち着いた。

その海での話をしたい。
朝一番の海に朝陽を浴びに行こうと息子を誘った。
8:00から部活があると言っていたが、5:30に家を出れば30分ほどで海岸に着く。

なぜ、海に行ったかというとそれは
息子と二人で話をしなければならない状況が起きていたからだ。


先日、息子が約束していたにも関わらず
それをまんまと破った。

そして、その重さに気づいていない。

最初はやってはいけないという行為も、
4回も繰り返すのだから、呆れてしまう。
お灸を据えるつもりで海へ来た。



二人で朝のコンビニでおにぎりやサンドイッチを買い海辺に流れ着いた木の台に座って
食べていた。

そこからは浜辺と先に見える海に浮かぶ小さな船しか無かった。

朝食を食べ終えて、わたしが海の方へ向かうとたくさんのゴミに溢れていた。



そう言えば、カラスが戯れていた。
カラスは人間の置いていったゴミに食べられる物が無いかと物色していた。

ペットボトルにプラスチック容器、目に映る物はすべて人工物だ。

流木や海藻は見慣れていた風景のはずが
圧倒的にリサイクルゴミだった。

「息子にも浜辺を見てきてごらん」

と促してみた。

「酷いね。これは。。。」

遠くから見たら、夏の海で終わっていた
朝陽を浴びる瞬間に、大量のゴミを見てしまったのだ。

「このゴミを二人で時間を決めて0.5~60分ぐらい掃除したらどのぐらい集められると思う?」

と聞いた。

すると、息子はこう答えた。

「それなら、30㌔はぐたらない。だって
こんなにたくさんあるんだから。」

息子の中には道徳観や倫理観が無い訳では無い。
特に虫や動物などの生き物は大切にする。
人に優しく、みんなが嫌がる仕事も引き受けて行動することができる。

しかし、この海を見るまでは破った約束事をそのままにすれば彼の人生に大きなキズを残し、ろくな大人にならないとまで考えていた。

これは、海のゴミと同じである。

一人一人が持ち帰り、海を汚さない意識をすれば少なくとも今よりキレイになる。

しかし、自分の出したゴミには責任を持たないというのが今の現状だ。

《我が子の行為はみすみす見逃してしまったり、通りすぎてしまえば小さな積み重ねで
たちまちゴミの山となってしまう。》

わたしは自分の道徳観にこの状況を当てはめてみた。
幼い頃から道徳観を重んじる厳しい家庭環境
で育った。

父の書棚にはたくさんの哲学の本が並んでいた。

父の職業は警察官で、わたしたち兄弟が不良にならないようにと母は常に目を配る。

初めてマニキュアを高校生の夏休みに塗ってみた。
すると、その爪を見て

「爪を染めれば次は髪を染めたくなる。」

なんと!まぁナンセンス。
その時のわたしは昭和一桁生まれの父の感覚が全く理解できなかった。

ある時、内容は忘れてしまったが
父の気に触れたことがあり、言い合いになった。

興奮した父は手に持っていたハサミの刃をわたしの方へ向けた。
道徳観を重んじる父の悲しい姿。

わたしはこの行為を一生忘れることはできない。
なぜなら、父の中には暴力に対する憎しみがあった。それと同時に止めることができない衝動も同時に持っていたからだ。

わたしの中にも息子と同じような心理はある。
母のお財布から小銭を取ったことや
祖母がタンス預金していた封筒のお金を拝借したことがあるのだ。

息子を注意しながらも、自分の過去にしてきた過ちを振り返ることになったからだ。


海のゴミの法則。それは、小さなゴミも責任を持って出した人が拾い上げることだ。

息子の失態はわたしの責任にある。
そこに気づいた。
全て、わたしの育て方にある。

これは、自分を攻めているのではなく
今目の前に起きていることは、全て自分の問題として引き受けるということにした。


《海のゴミが多いのは、その風景を生み出してしまった自分に責任がある。》
と定義する。

これを息子と話をしてみる。

落ちている物がお金だったらどうだろう?
皆、争う様に拾いに来るのではないだろうか。。。

例えば、この海の産物を拾いあげて
新たな命を吹き込んで見たらどうだろう。

また、拾ったゴミがお金に変わったら
と仮定してみる。

社会の問題を解決しながら、応援してもらえる様なシステム化を考えてみる。

この夏の自由研究を一緒にやっている。
そして、海のゴミはお金の法則へと転換してみる。

今起きていることを解決させるには
同時に2つ以上のことに気づくことが
海のゴミの法則である。

海のゴミの法則(道徳観と倫理観)

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夜中に目が覚めた。
携帯で時間を確認すると、まだ3:15だ。

熱中症になりかける程の天候で、40℃近くをマークしていた。
たくさん汗をかき、水分をとった日で扇風機の風は生温く全身ビチョビチョだ。

ゆっくりとシーンと静まりかえったお風呂は
夜の海みたいで、落ち着いた。

その海での話をしたい。
朝一番の海に朝陽を浴びに行こうと息子を誘った。
8:00から部活があると言っていたが、5:30に家を出れば30分ほどで海岸に着く。

なぜ、海に行ったかというとそれは
息子と二人で話をしなければならない状況が起きていたからだ。


先日、息子が約束していたにも関わらず
それをまんまと破った。

そして、その重さに気づいていない。

最初はやってはいけないという行為も、
4回も繰り返すのだから、呆れてしまう。
お灸を据えるつもりで海へ来た。



二人で朝のコンビニでおにぎりやサンドイッチを買い海辺に流れ着いた木の台に座って
食べていた。

そこからは浜辺と先に見える海に浮かぶ小さな船しか無かった。

朝食を食べ終えて、わたしが海の方へ向かうとたくさんのゴミに溢れていた。



そう言えば、カラスが戯れていた。
カラスは人間の置いていったゴミに食べられる物が無いかと物色していた。

ペットボトルにプラスチック容器、目に映る物はすべて人工物だ。

流木や海藻は見慣れていた風景のはずが
圧倒的にリサイクルゴミだった。

「息子にも浜辺を見てきてごらん」

と促してみた。

「酷いね。これは。。。」

遠くから見たら、夏の海で終わっていた
朝陽を浴びる瞬間に、大量のゴミを見てしまったのだ。

「このゴミを二人で時間を決めて0.5~60分ぐらい掃除したらどのぐらい集められると思う?」

と聞いた。

すると、息子はこう答えた。

「それなら、30㌔はぐたらない。だって
こんなにたくさんあるんだから。」

息子の中には道徳観や倫理観が無い訳では無い。
特に虫や動物などの生き物は大切にする。
人に優しく、みんなが嫌がる仕事も引き受けて行動することができる。

しかし、この海を見るまでは破った約束事をそのままにすれば彼の人生に大きなキズを残し、ろくな大人にならないとまで考えていた。

これは、海のゴミと同じである。

一人一人が持ち帰り、海を汚さない意識をすれば少なくとも今よりキレイになる。

しかし、自分の出したゴミには責任を持たないというのが今の現状だ。

《我が子の行為はみすみす見逃してしまったり、通りすぎてしまえば小さな積み重ねで
たちまちゴミの山となってしまう。》

わたしは自分の道徳観にこの状況を当てはめてみた。
幼い頃から道徳観を重んじる厳しい家庭環境
で育った。

父の書棚にはたくさんの哲学の本が並んでいた。

父の職業は警察官で、わたしたち兄弟が不良にならないようにと母は常に目を配る。

初めてマニキュアを高校生の夏休みに塗ってみた。
すると、その爪を見て

「爪を染めれば次は髪を染めたくなる。」

なんと!まぁナンセンス。
その時のわたしは昭和一桁生まれの父の感覚が全く理解できなかった。

ある時、内容は忘れてしまったが
父の気に触れたことがあり、言い合いになった。

興奮した父は手に持っていたハサミの刃をわたしの方へ向けた。
道徳観を重んじる父の悲しい姿。

わたしはこの行為を一生忘れることはできない。
なぜなら、父の中には暴力に対する憎しみがあった。それを止めることができない衝動も同時に持っていたからだ。

わたしの中にも息子と同じような心理はある。
母のお財布から小銭を取ったことや
祖母がタンス預金していた封筒のお金を拝借したことがあるのだ。

息子を注意しながらも、自分の過去にしてきた過ちを振り返ることになったからだ。


海のゴミの法則。それは、小さなゴミも責任を持って出した人が拾い上げることだ。

息子の失態はわたしの責任にある。
そこに気づいた。
全て、わたしの育て方にある。

これは、自分を攻めているのではなく
今目の前に起きていることは、全て自分の問題として引き受けるということにした。


《海のゴミが多いのは、その風景を生み出してしまった自分に責任がある。》
と定義する。

これを息子と話をしてみる。

落ちている物がお金だったらどうだろう?
皆、争う様に拾いに来るのではないだろうか。。。

例えば、この海の産物を拾いあげて
新たな命を吹き込んで見たらどうだろう。

また、拾ったゴミがお金に変わったら
と仮定してみる。

社会の問題を解決しながら、応援してもらえる様なシステム化を考えてみる。

この夏の自由研究を一緒にやっている。
そして、海のゴミはお金の法則へと転換してみる。

今起きていることを解決させるには
同時に2つ以上のことに気づくことが
海のゴミの法則である。

鏡の法則(ミラーリング効果)

8/7はお仕事終わりに家族を誘ってカラオケへ。盛り上がり楽しい夜だった。
帰宅前にスーパーマーケットで珍しく親子で買い物をし、帰りの車でもいろんな話をしていた。

早朝、目が覚めて朝のうちに作業を終えてリビングへ行くと何やら母マリ子が自分のカバンをひっくり返し、ガサガサと探し物をし

👩「どうしたの?」

👵「なんか、変なのよ。金曜日の夕方に郵便局でお金を10万円引き出して1万円は違う口座に入れて残りを持って帰ったの。今朝、封筒の中身を見たら8万円しかないのよ。」

その封筒を受け取り数えてみる。

すると、

👩「お母さん、7万円しかないよ。」


👵👧「えーーー!」

近くで料理をしている娘にも確認してもらうが7万円しかない。

そこで、母マリ子の行動記録をとってみる。

二万円がなくなるまでに、カバンをどこへ置いたのかなど、事情聴取をする。

すると、お金を引き出してからすぐに数えず封筒へ入れたこと。
丸1日、放置していたこと。
他に出かけて使った形跡はないかなど。

朝、かばんはリビングに置いてあった。

その日は熱帯夜でエアコンのつく部屋で寝たいと言った息子は一階にいた。

その息子は朝早く部活へ出かけ10:30まで帰宅しない。

母マリ子の行動記録から紛失は考え難い。
機械は人間の脳ミソより正確だ。。。
だとすれば、ATM に置き忘れたりすれば
ピピピピーと音がなる。

そこで、まだ帰宅しないがおそらく
いや、かなりの確率で怪しい人物がいる。

娘は、常に泥棒がいると疑って財布は適当な場所へ放置しないと話していた。

わたしの財布に三万円ほど入っていたので
確認してみると、問題なくある。

では、いったい何事が。。。。

10:30息子が帰宅。

そういえば、朝行く前にトレーニング用の重さ5キロぐらいの鉄アレーを持っていた。
その袋を出掛けに床に落っことしたことを
思い出した。

息子の袋を本人の目の前で開けて、中身を出し財布も開けた。
お小遣いで貯めている5000円を持っていることは知っていた。
それは、前日のカラオケの支払いをするときに財布を開いて見せたからだ。
払ってくれようとでも思っていたのか。。。
しかし、その行動から何か怪しさを感じる。

今度は私が財布を開けてみる。

5000円は見えるように入っていて、その横に申し訳なさそうに2つ折りの10000円を発見した。

👩「この10000円は何?」

持っているはずの無い金額を指摘され固まり、理由を言い始める。

どんな理由でも、次こういうことをしたら
家を出すと宣言していた。

息子の問題は小学生の頃より、はじまっている。これで、前科4犯。

そこで、この話し合いになる前に常に冷静沈着な娘にも事前に話ておいた。

「ママはいつも興奮しちゃうから、今回は
穏やかに話し合って。まぁ、わたしなら
そんな簡単には許さない。出ていってもらう。そんな弟いらないって言うし。」

息子の性格はとても優しい。
しかし、こんな一面があることを
とても哀しく思っている。


これがきっかけで、母マリ子との同居は
解消すると決めていた。

娘もそろそろ一人暮らしをはじめたいと言っていたので、二人でどこかに引っ越すか?
と話した。

この話し合いがはじまって終始息子だけの問題だと思っていた。

しかし、息子の財布をときどき覗いている人がいた。

それは、母マリ子だった。

お互いがお互いの財布に手を伸ばしいくら
入っているかと気になっていたのだ。

それを知ってしまった。

これはミラーリング

鏡の法則だ。

わざとやっているわけではないようだが
お互いの行動が鏡写しで、信頼感を失いつつあった。

その事を二人を目の前にして伝えた。

そして、お互い声に出して謝って欲しいと。

同じ屋根の下に住んでいて、信頼感が失くなってしまえば他人以上に辛い関係となってしまう。

息子は中学卒業まではここに居させて欲しいと手紙で謝罪し、卒業後の選択をしっかりと
考えることになった。

ミラーリング効果は良い使い方もできるが、
今回の事で負のパターンがあることも再確認。

人を指差せば人差し指は相手を差しているが
残りの三本の指先は自分の方を向いている。
鏡の法則について考えさせらる日となった。

そして、私と両親との関係。子供たちと私の親子関係を見直す機会になった。

鏡の法則をもう一度学び、自分の人生を見直してみることにする。

ノンフィクション東大相撲部

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2083739658436503&id=100004014685056

14歳になる息子は東大相撲部へ通っている。
もちろん、受験をした訳でもなく、飛び級した訳でなく、お呼びがかかったのだ。

学校の陸上部以外に通わせるきっかけは
よく食べよく育って運動が足りないから。

お世話になっている友人の大ちゃんが
東大相撲部で稽古をつけている。
彼のお誘いがあって、東大の門を潜った。

もうひとつの狙いは息子と真逆の人間たちが
集まっているから。。。
勉強経験値の高い彼らと交われば、少し刺激を受けるのではないか?という勝手な妄想でもある。

さて、今まさにノンフィクションが放映している。指原莉乃さんのナレーションでサクサクと。

普段はみんな優しいお兄さんで、中2のガタイと思えない息子に丁寧にご指導してくれる
。肥る体質は決して恥ずかしいことじゃない。そう、それはエリートなのだから。

息子の凱も小学校3年生までは、普通体型のこどもであった。しかし、4年生になると
みるみる太っていった。

ボクシング、バスケットなど、長続きしないところはあるが、なるべく運動を続けて来た。
部活の時間も短く、家ではゴロゴロしている事が増えていく。食べる量はハンパナイ。
そんな時に中学生も参加して良いよ♪とデッカクなった息子に白羽の矢が立った。

稽古は今までやってきた相撲とは全く別モノ
、お互いが身体を預け合い全身全霊で闘うスポーツだ。江戸時代から辿ると、女性力士もいるらしい。

今はCORONA自粛で稽古がはじまらない。
しかし、キツい稽古だが息子はまた行きたいと語っている。
密着型スポーツのため、疫病騒ぎでなかなかスタートできていない。
しかし、その対戦相手の胸を借りるところがとてもいい。
相撲は日本が誇る国技である。
息子が本格的に始めたら、中学卒業で門をくぐらせてもらう。
その四股名こそ【凱旋門】にと目論んでいる。