chikyuwatomodachi’s diary

地球はともだちのお話

二十歳を迎える君へ

「二十歳」を迎える君へ

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2020年、正月明けに唇の下にピアスを開けた写真を送ってきた。
娘は今年二十歳を迎える。
韓国での留学も間もなく半年過ぎようとしている。


あなたがこの世に誕生する頃、
 
あの頃はミレニアムと言われた2000年問題があり
前年に買ったiMacのストロベリーカラーが
ひときわ部屋に存在感を放っていた。

平成の時代に耳も慣れてきて、昭和が古臭く感じたりもした。

私は結婚してからすぐには子宝に恵まれず
4年も待ってあなたにやっと出逢えた。

当時、仕事も順調でジュエリーの創作作家となり
本の出版もした。
あなたをお腹に宿しての仕事は結構ハードだったかも知れない。悪阻(つわり)になると🍊を口に入れて、車を運転していた。

出産は住まいの近くでするつもりだった。
そんな時にかかりつけ医の婦人科の先生が
病院を辞めて、次に担当になった先生は爪の長い
女医さんで、触診で傷がついて出血した。

信頼できる医者をここから探すのが不安だったから
千葉の実家であなたを産むことにした。


あなたを産む病院は古い総合病院だったけれど、
予定日よりも長くお腹に居た事が原因で羊水は汚れ酸素が足りなくなり、仮死状態になってしまった。

陣痛はあるけれど、微弱でこのままでは危険だと医師の判断があり帝王切開になった。

私は心の中でとにかくあなたの無事を願った。

そして、私の人生とは引き換えで構わないから
この子を助けてください。と願った。

出てきた赤ちゃんは真紫色。
酸素が足りなかったせいだ。

しかし、チアノーゼで脳に酸素がいかず脳症を起こさなくて本当によかった。

チアノーゼとは…
https://www.hospita.jp/sp/disease/1471/

さて、そこからが大変。
初の手術でもあり、身体が思うようにならない。

夜中のうちに身体がベットからずり落ち
斜めになったまま、個室で朝を迎えた。
お腹は切った痛みと産後の体力が落ちて
かなりひどい状態。

それでも、赤ちゃんが無事だったことだけは
本当に良かった。
  
そんな状態で誕生したのが、あなたです。


あれから20年。
 
私は母親として何かしてやれただろうか?


意見の食い違いや、認めてあげられない数々の出来事でよくぶつかりあった。

5歳頃にはしっかりと自我に芽生えたあなたのことを万年反抗期と呼んでいた。

小6の頃、髪を染めたこと。叔母と一緒に染めた髪が思ったより金髪で、泣いた翌日のこと。
翌日クラスの友達や先生の優しさに感謝したね。

 
両親の離婚をそれより前に早くに察知していたこと。そのことをきっかけに、いろんな話をしてきたね。親の離婚が子供たちに与える影響は大きい。
それを一緒に考えて、泣いた日もあったよね。

高校に行きたくない日もあって、朝は起きられず
学校へ送った日もあった。
嫌だった時間と向き合ったから今がある。

そして、昨年の夏。19歳。
留学し日本を離れたあなた。そこからは、急成長したね。
親元を離れたら、自活し少ない費用で寮生活。

そんな中でも、あなたからのLINEに変化を感じた。

家族への愛や日本という国に対する言葉が変わってきたこと。

留学する前は、こんな国早く出て行きたい!と愚痴ばかり言ってた。
家族には迷惑をかけても、流していたじゃない?

でも、ここに来て感謝の言葉をたくさん送って来るようになった。

そして、
「日本はいい国なんだね。」
と、明らかに気づきを得ている。

これは、あなたの心が変わったから。
見える世界観が変化した。
また、私の感覚も変化した。

大きくは娘を信頼し、任せる事にした。
唇の下にピアスを開けても(笑)
それは、あなたの身体であり、自分で責任を持って生きるということ。


生きるって孤独だ。
生まれてきたときも1人
前に進むのも1人
そして、
死んでいくときも1人なのだ。

しかし、そんな中にもたくさんの方に助けられて
生きている。 
それに気づいたら、感謝をする。

とても、当たり前で忘れがちなことだ。

私もまた、50年生きてきて人生を振り返り
そして前に進んでいる。

たくさんの出逢いに勇気づけられ
教えられ
自分のできることで
多くの人に喜んでもらえることを
やっていきたい。

それは、私の喜びであり人生そのものだから。

たくさんの失敗を重ねて今がある。

娘の唇の下のピアスを見てメッセージを送った。


『もう、二十歳になるんだから何も言わないよ。
あなたの人生なんだから、自分で決断したことでしょう。』

その言葉は50歳の私に向けた自分へのメッセージでもあるから。