chikyuwatomodachi’s diary

地球はともだちのお話

愛とお金のゆくえ。募金箱、ドネーション、ファンディグとは?

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最近、再びブロンプトンという愛車に乗って
走りまくるといいことばかりある。

脂肪は勝手に燃焼してくれるし、都内なら
自転車で移動した方が簡単便利。

高田馬場~六本木~品川方面~新宿

はおよそ二時間半のコース。

何よりも、移動費がかからずこれをタクシーに換算すると一万円を超えてしまうのだ。


さて、今回わたしの頭の中にうごうごと
蠢いているのはお金について。

わたしたちは日々何かをするにつけて
お金が必要となる。

生活費、医療費、保険料、交通費、交際費、ガソリン代など自給自足の生活でなければ、いや、だとしても何かにつけてお金がないと生きていけないと大半の人は思っている。




くまもんの熊本県から旅暮らしをしつつ遥々車一台で(寝泊まりも完備)全国の方々へ
ある手法により、病気の人を癒している仙人の様な方がいらっしゃる。

坂田和彦氏(67)
愛氣法創設者、愛氣とは愛の力で包みこみ
癒すことが誰もができる手法である。
協力者により全国各地にて体験会を開催。
また、難病など医療でも治せなかった方々を
愛氣法によりゆるませて正しく整え、自然治癒できる方向へ導いている。


この方、お金に関しては全くの無頓着。
言葉にしてみるとやや問題があるが、講座を開いてもドネーション形式にしている。

金額を決めてしまうと、本当に受講されたい
方が受けられない。お金の無い人が体感できないから、と言う。


愛氣法を受講し対価を払う人。
はたまた、なんとなく受けたが効果は今一つわからないけれど謝礼は払っておこうとする心理なのか。
払いたいが値段がわからないと不安という人。
反応は十人十色だ。

わたし自身はお財布事情と相談するときもあるし、出せるタイミングでドネーション

いくら出したらいいのか?
と聞かれたら、わたしの金額を正直に答える。

募金の種類には他にファンディグという
方法もある。

横文字で意味合いが通じなければ
応援料だ。

わたしは愛氣法の極意を伝え、誰もがニコニコとしている世の中を想定しそこへペイメント。

過去にわたしの活動を応援し100万円を振り込んで下さった女性がいた。

それは正しく応援料だ。

わたしはその時、離婚した最中で本当にお金が無かった。しかし、この100万円を勉強代とし講座料と考えて経営者モーニングセミナーで毎日學んだ。
1ヶ所の単会に月10000円
3ヶ所に入会し30000円。
3年間、一回¥1000を支払う感覚で30日ほぼ毎日受講した。

人のご縁と経営者の方々とのお付き合いによりわたしは自分も経営者となった。


さて、最近は壁画を描いている。
こちらは創作作家としての活動だ。

作品にお代をいただくときに対価として
頂戴するのだが、金額と仕事量は必ずしも
比例ではない。

仕事でお金を頂戴するとき、価値についてとても考えさせられる事が最近あった。
考えて悩んで口の中には口内炎、目は物もらいになるという始末。

これまで、わたしの仕事は0から生み出すオリジナルのアイデアが詰まっているから、著作権を頑なに渡せないと思って来た。

しかし、ある人の言葉をきっかけに頑なだったわたしの心をゆるゆるとゆるめる事ができてから急激に楽になった。

それは、愛だ。
互いに愛がある、愛氣に包まれていると
感じられる自己肯定感。


愛氣法はとても日本的であり、考え方は
仏教的。そこには哲学も感じる。


わたしの大切にしているホ・オポノポノの
考え方に通じるところはあるが、こちらは
クリスチャン的な要素を含むので違いがある。

《ホ・オポノポノ魔法の言葉》

ありがとう

ごめんなさい

ゆるしてください

愛しています

最初は「ごめんなさい」と「ゆるしてください」に違和感があった。
それは自分自身がインナーチャイルドに語りかける心を解放する感謝の言葉。

どちらも伝えたいことは同じで
宗教思想的に考えれば誰もが平和でありたい。
信じるものが違っていても、進む方向は
同じ、誰もが笑顔で生きられる世の中に
なっていればいい。
これから、年末に向かうと増える街角の

「◯◯募金にお願いしまーす」

お金を募金箱へ入れて満足するのはちょっと待った!

あなたの大切なお金や労力を払うなら募金箱は信用ならない。

少なくともわたしは目の前の必要とする人へ直接渡せる方式がいいと思っているから。
尚、愛氣法は直接ご本人に渡せるシステムとなっており彼と共に笑顔を広げたい方は
メッセージお待ちしております。

プロフェッショナル 仕事の地球儀

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地球儀をくるくると回して
「あぁ、この国にも行ってみたいなぁ」
と世界を旅している氣分になったこと
ありませんか?

わたしは20代の中頃、旅人。
大きなリュックサックに荷物を詰め込み、
行きたい町へ自分の足で歩く、
1人旅をしていました。

旅から戻ると、それまであった固定概念を
手放す事ができていました。

日本に暮らす中に感じていた、
《~なければならない》
という精神は非常にわたしの生き方には
合わなかったと氣づいたのです。



https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB

「あなたはプロですか?」

そんな風にプロかアマかを問われたことはありますか?

わたしは何度か。。。いや、かなりある。

「プロの歌手ですか?」

「プロの画家さんですか?」

貼りつけたウェキペディアによれば、
一流か?
技術はあるか?
お金を貰っているか?

などがプロと決めるポイントとなっている。

わたしの場合はひとつに収めることができないし。。。
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いったい何をしている人か想像しづらいこともある。
けれど、どちらかと言えば何か人とは違うことをしている人なのでは?
と言う前置きがあっての質問が多いが。。。

わたしの思うプロフェッショナルとは
【どの道においても、自信を持って自分のやっていることに信頼性の高い人】


そこで、最近出会ったオモシロイ肩書きの人を紹介します。

《テニスコーチで燈師》

灯り、明かり、燈だ 😃💡

そんな初めて聞く言葉に反応してしまったが
テニスコーチっていうのがまた氣になる。

彼の名前は服部高久さん45歳。

燈明し(みあかし)

百聞は一見にしかず
なので、彼の作品を見ればどんなことを
しているかわかるが

『光の世界を演出するアーティスト』

空間の達人である。
なんでも素人時代から空間演出に興味を持ち
テニスコーチをしながら、ほぼ独学で進み
大きなコンペティションで優勝🏆
物凄いバイタリティだ。

そして、現在コロナ禍に感じた思いから
新たな作品を生み出した。それが、-Wa-

https://camp-fire.jp/projects/view/315983

光と闇はいつも背中合わせであるが
闇があるから光に目を向けられ
光があるから闇は色濃く深くなる。

出会いのきっかけは
才能学の七条正氏が主宰する
【朝陽を浴びる会】
でのご紹介でした。
🐻ちゃん(七条さん)から前以てに服部さんのクラウドファンディグのリターンに照明権があるからエミさんの壁画にもと紹介をいただいた。

ちなみに才能学でのわたしは金運人
そのお話はまた。


さて現在、ビルや学校・公共施設などに
壁画アートを描いているのだが
今回、壁画制作を完成させたビルの1階~5階のその場所は内階段になっていて、やや暗い。

小さな窓と蛍光灯。

無機質なセメント壁がそれを伝えている。

描く前には壁のひとつひとつに語りかけ
煤払いをして、ケルヒャーの蒸気でクリーニングした。

クモの巣がたくさんありホウキで払いのけ汚れている場所は念入りに磨いた。
ひび割れた部分にはセメントパテで補修もした。
とにかく、この建物の階段に絵を描き喜んで下さる方の笑顔を想像して。念入りに。
業者は入れず、ほぼひとりで描く。

そして半年間、遂に完成。


しかし、何かが足りない。

それは、あかり。温かな燈。

こうして、服部高久さんにラブコールをして
淡路島の花博でお忙しい合間にありながら
興味をもってくださった。


壁画の題材は一冊の手作り絵本。
原作がある。【ひとつぶの種】
これを三和製作所バージョンにして描いた。
作品の中にはいろんな生き物が登場する。
これに光を当たったらどんなに空間が映えるんだろう。。。

服部さんは予定より早く到着。
二人で駅前で待ち合わせし、向かう。

まだ、2回目の再会とは思えない程
氣さくな人柄だ。

現地に着き、1~5階までじっくりと見て



「ここは下から照らした方が躍動感が
出ますね…」

「わざとポイントを外す方法もあります。自分ならそういうやり方でこの絵を生かします。」

「ペンキの跳び跳ねた感じは敢えて残してもいいですね。その方が雰囲気が出るし。」

などなど、アドバイスをしつつフットワークよく階段を移動。

その軽やかさはテニス仕込みなんだろうな。
なんて思いながら。

市川の二俣新町の工場しかない街並みをあとにしつつ、彼はこう言った。

「こういう無機質な街は嫌いじゃないんです。むしろコンクリート素材が好きなんで。無機質な街を抜けてビルに入るとエミさんの
温かみのある壁画がある。このギャップがいいんですよ。」

そこから、移動し神楽坂ツアーに移動。
三和製作所の担当者であるユカチャンにはしっかり伝わったと思う。
彼女のサポートがあって、長くかかった
この壁画も楽しく描いて来られた。

そして、この空間演出の燈師にわたしの絵を
預けたら何のことはないリースビルディングの無機質だった階段に描いたオリジナルの作品を絵画として生かしてくれるだろう。

あの日、三和製作所のヒロキ社長が

「このビルを一人で最後に出るとき、真っ暗で寂しくて怖い感じがするんだよ。絵でも描いてあったら違うと思うんだけどね。」

の一言を思い出す。

そこに集まる会社のスタッフさんやご家族。
関係する障がい者施設のみなさんや小さなこどもたち。

描きつつ、後ろを通る方が声をかけてくれたときの笑顔。

そこへ集う方に照らす笑顔は温かみのある燈がいい。
その光はいづれ地球全体を照らすことになるだろう。そう、感じた。

そう思えた素敵な時間。
時計を見たら大幅に時間を超えていた!
ヤバイ!
神楽坂おもてなしツアーのヨーコさんと
七条さんにペナルティ付けられるわ!

こういう時に限って、Suicaをどこに入れたかあたふたするんだよな(笑)
神楽坂の駅を足早に抜けると、迷子になる前に綺麗な淡いピンク色の訪問着のヨーコさんが笑顔でお出迎えしてくれた。





《Emi のプロフィール》

ジュエリーアートの教室・講師
創作の作家
造形教室ecodecoKOBO
壁画作家
歌手ジャズ~童謡までオールジャンル

地球はともだちプロジェクト
循環型社会へのアナウンス

一般社団法人 食べものに感謝代表理事
循環型社会の提供
商品開発
こども食堂アドバイザー

この他に26種類の仕事を経験。

カーボンニュートラル50年後の地球へ

突然ですが、あなたの好きなおやつは何ですか?
今週のお題がそれ。
わたしはアルフォートが大好き。
冷凍して食べるのがオススメです。

さて、このアルフォートは小麦粉のクッキーとチョコレートからなる絶妙なバランスの
おやつ。

わたしがこどもの頃には無かった。

ブルボンの開発では少しづつ新しいおやつが
作られてきて40年。
わたしが11歳の小学生だった。

夏休みの絵日記には最高気温でも30℃の前半。おそらく、25℃~32℃が定番。

あれから40年、絵日記に40℃近くをマークする日を記録しなくてはならない。
過酷な夏を通りすぎた秋に思うこと。

それは、2020年オリンピックイヤーのはずだったが、新型コロナ感染による延期を余儀なくされた。

わたしの元に一通のメッセージ。


それは、NAGOYA 女子マラソンを毎年運営してきた団体のボランティアウェアが1000枚ほど廃棄されるというアナウンスだ。

『欲しい方には送料着払いでお分けします。』
という内容だ。

営団体はこの夏を最後に解散。
ボランティアを長く取り仕切って来られたが
10年目に終了。
棄ててしまうウェアに待った!をかけた。

そのウェアはスポーツブラントのロゴ入り。
おそらく、質は良いだろう。
そうだ!😃💡閃いた♪
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わたしはそのウェアと帽子を一手に引き受けることにした。
これらをも燃やせばCO2が増え、温室効果ガスが発生する。

社会の好循環を生むことをテーマにしたのは
2年前のこと、それが『食べものに感謝』だ。
きっかけはこども食堂だった。
6年前にスタートした《こども食堂》は当時誰も知らないネーミング。

7人に1人のこどもが貧困という統計に出た。我が家の様なシングル家庭は貧困だと言うのか?
その運営を行うべく、月1回駅前で開く
マルシェに参加。
こども食堂に来たこどもたちの大半は野菜を
残す。苦手な味のモノは残飯になる。
これを見てわかってしまった。

いくらこども食堂を開催しても環境問題を
解決しなければ格差社会は解消できないのだ。

わたしたち日本人の生活は食の欧米化により
大きく変化している。

肉や小麦、洋ものにより支配されはじめたのは戦後だった。

では、いったいいつの頃だったら日本人らしい素食の文化が消えはじめたのは。。。

我が子も肉や甘いチョコレートにパンなど
が大好き、食の変化が起きたのは明らかに戦後教育によるもので、そのあたりから癌や生活習慣病も増えて来たはず。
輸入による薬品を購入の販売は最たるモノ。

さて、現在51歳になったわたしの50年後は
101歳。
50年後の未来はどんなモノを食し
どんな夏を過ごしているのだろう。

40℃の気温は今より酷くなってはいないか?

カーボンニュートラル

酸素と二酸化炭素の排出のバランスを同じ量にしようという働きのこと。こちらが発表され、2070年に向けたアクションを
全世界が一丸となり動きはじめた。

しかし、日本はまだそのスタートラインにも
ついていない。
環境を良くしていくための産業がCO2大国の
中国では動きはじめている。
そのスタートダッシュに乗り遅れると、この短距離走ではずっとビリっかすだ。

11歳の頃に短距離走の苦手だったわたしも
1度だけ3位入賞した事がある。
それは、誰よりも激しく練習するのではなく
イメージの中で優勝する自分を想像するのだ。

誰もが住みやすい地球を創造する力がある。
その思考ひとつで50年後の未来は変化し続ける。
カーボンニュートラル
50年後の未来に。
ひとりひとりのイマジネーションに語りかけ
る。

八ヶ岳 ~diary~

あなたはライアーという楽器をご存知ですか?

ハープのように弦があり、座った膝よりも
上に乗せて竪琴として奏でる楽器を。
この楽器を日本に持ち込んだ第一人者の方がいらっしゃいます。

その演者は82歳の女性。みゆきさん。
彼女の雰囲気が素敵すぎて、只者ではないぞ
このおばあちゃんは!というエネルギーを醸し出していた。
彼女の人生には常に音楽があり、その音楽家としての生きざまを今も語り部として伝えて演奏する小さなサロンコンサートへ行って参りました。

知り合ったのは、8月の終わり。
八王子にある彼女のサロンへご紹介を受けて
伺いました。

初めましてのご縁を繋いでくださったのは
熊本県在住の愛氣法の創設者、坂田氏です。
彼は年間半分は旅の様な暮らしをしながら
体を弛める、脱力する、愛で癒すを伝授しながらながーいお髭を蓄えた仙人のような方。

さてお二人は熊本県の震災後、癒しを伝えるアーティストや背術家などの輪で知り合ったという。
わたしは1度もライアーの音色を聞いた事がありませんでしたが、敢えてインターネットなどで聴かずに当日のコンサートを楽しみにして、79歳になった母マリ子を誘っての二人旅。

サロンはハープ奏者で有名な智香子さん。
彼女は美智子妃殿下の前でも演奏されるほどの方だそうです。

彼女がオーナーをされているペンション
星の雫へ前日より一泊しました。

コンサートはペンションのリビングルーム
はじまります。

智香子さんがご挨拶され、白いヒールを履いたところからスタート。

聞きなれた曲の数々が流れるように奏でられると、三曲目が始まった頃に道路の反対側をわざわざ横断してガーデンを抜ける影。

それはご近所の猫ちゃん。

まるで、ハープの音色に誘われて

『少し遅れたけど、参加するわ♪』

とでも言っているお顔。

みゆき先生のお孫さん遥ちゃん15歳のお祝いを共に祝い唄いました。

アベマリアの旋律が身体を包み、なんとも心地いい時間を過ごしていると、あっという間にハープからライアーへ交代。

みゆき先生のライアーはまるで語り部
語りかける様に弦の音が響き、
その音に応える様にガーデンの木にとまった
小鳥が返事をしていました。
お話はとても滑らかで、まるで絵本でも
読み聞かせして下さっているかの様に。

たくさんの童謡を歌いながら弦を指で鳴らす
その姿を見ていると一瞬小さな笑い声が聞こえました。

その小さな笑い声

クスクス( *´艸`)

と、明らかに小さな子どもの声。

見渡してもその様な子どもは見当たりませんでしたが。。。
おそらく天使の笑い声だったかと。。。

ライアーの音色はお話するように語り響く
存在感がある。
語りべをされながら、みゆきさんはご自身の人生についても触れていた。

「音楽が大好きで、いつも傍らに音楽があった。 お母さんが内職をしながらでも続けさせたくれた。

そんなわたしも今ではおばあちゃん。
膝の故障で、一人で出かけられなくなり家の前まで車で迎えに来てもらうようになった。
車椅子の状態でも、こうして演奏できる場所があるって楽しい。」

人生の過ごし方は其々だ。

しかし、与えられた命をどう生かすか

そんなことを考えながら

深夜の高速を八ヶ岳から二時間程で
戻るアクセル全開のテンションだった。

花盗人の伝説を

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台風一過、思ったより被害は少ないという反応もあったが、ふといつも通る道で
花壇の花たちが一斉におじきをしていた。

その通りは6年程前より地道な花咲かしをしている裏路地。
わたしが珍しく継続してやっていることのひとつだ。(幼い頃からあきっぽいと言われ続けて今です。ハイ。)

最初の頃は障害者施設の立ち上げに関わり、
事業のひとつとして花植えをはじめた。
施設の女の子はこの水やりを日課にし、楽しみにしていた。

町に花があるだけで、雰囲気が変わる。
この場所も陽当たりが少ない花壇に苔が蒸していた。

持ち主は『たましん』こと多摩信用金庫さん。当時の支店長に相談して、場所をお借りすることになった。

最初は土を耕し、雑草を抜き土を肥やすところからはじめた。

ご近所のお米屋のおばちゃんから米ぬかを分けてもらい、石灰を混ぜて寝かせる。
時には生ゴミを混ぜて寝かせる。

プランターでも充分、循環型の農園になることを体感するためにせっせと野菜の種を蒔いてみたりもした。

一緒に進めるはずの施設の運営は途中で
解散となり、花植えだけが残った。
利用者の子も楽しみにしていたこの場所、
止めることなく、ひとりでも続けている。

ご近所の花屋のおばちゃんに、安く譲ってもらった苗やいただいた種を蒔いていく。

今年はひまわりだ。
2ヵ所から分けてもらった。

ミュージシャンであり、教育者となった元ちゃんから、2011年南相馬市の被災地より育ててきた種。
もう一種類は船橋市の障害者施設から。

どんな花が咲くかはわかっているのに
芽が出るとワクワクするものだ。

今年はコロナ禍で静かなGW中に種を蒔いた。長雨で夏がなかなかやってこなかった2020年。
芽が出て来るのを心待ちにするトトロのめいちゃんさながらだ。

梅雨が終わった週にようやく🌱を出した。


今朝は元気に育った花たちの植え替えをする
つもりで向かった。

頭をもたげて垂れ下がった状態の花を一株ごとに抜いていく。

出社の方の一番乗りが7:30頃。
目が合ったのでご挨拶した。

何人か立て続けに、出勤の方々入っていく。

「いつもありがとうございます。」

今日はやけに皆さんの挨拶が続く
今まで、こんなことはあまりなかったのに。

すると、わざわざ中から支店長さんもご挨拶にいらした。

「暑い中の作業大変ですよね。タオル使って下さい。タオルしかないのですが。。。」

そして、作業してる後ろからお掃除を担当している女性が声をかけてくれた。

「前日はひまわりを切ってしまいごめんなさい。😣」

あぁ、そうだったのか。
お盆の頃、花壇の様子を見たときに、ひまわりの花がハサミで切られていた。
また、次に見たときはひまわりは抜かれていた。
花に種が宿ったら、来年用にするつもりだった。
たまたま、プランターの前で立ち尽くすわたしに声を掛けてくれた若い営業マンの姿があった。

彼はこの花について質問をしてくれて
保全に務めてくれた。

おそらく、社内の方に認知して共通認識されるところまで話してくれたことがわかる。

さて、声をかけてくれたお掃除担当の方は
いつもお花に水を撒いて下さる方だ。
年配のその女性が、わたしが水撒きできない間も変わって撒いてくださっている。

「わたしはこの花たちにいつも癒されているんですよ。」

その表情は明るく、とても良い笑顔をされていた。彼女は頭にウィッグをつけていた。
ファッションではなく、医療の関係からだろう。
日が刺して、綺麗な栗色と笑った笑顔が年齢よりも若く華やかな印象に見えた。


たった一輪の花を咲かせるのに、
ひとりの力ではない。

そこに居場所があり、プランターがある。
陽の光が光合成を促し
雨土の恵みを吸収し
種が成長するまでにはたくさんの根っこを
四方八方へと広げ養分を吸っていく。

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~笑顔の花咲かし~

小さな種がポトンとおちた

たったひとつぶ

大地に生み落とされる

誰に愛でられ

誰に声をかけられたのだろう


陽の光浴びて

やがて輝くとき

花は花として 生きていく


笑顔の花を咲かせましょう

あなたの心に宿る種を植えて

やがて広がる大地に還っていく

ほんの一瞬の未来を夢みて


笑顔の花咲かしを見つけたら

撒かれたところで咲きましょう

誰の手を渡り

誰が結んできたのか

風が運んでいく

未来を紡いでいく

笑顔の花咲かし

あなたの命

Seed ~SDGsからはじまるアクション~

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ついつい雑記をツラツラと綴ってしまうが
今日のまとめは一味違う。
とても、理想的な【地球はともだちPJ 】の場所だった。

さて、この週末3日間は東京タワーのお膝元でもある港区麻布にてSeedというイベントが開催されていた。

そのうち、オープニングと最終日の2日間
会場へ足を運んだ。

きっかけは80年代よりライヴアートを広げてきたken-g こと鈴木健二氏のパフォーマンスを見に行ったのだ。

この会場を運営するのは若き起業家たちの集まるR Startup Studio 。
個人事業主や起業家が集まり、一人一人の個性にスポットが当たるような社会へのアクションをしている。

海外アーティストの育成やクラウドファンディングにも力を入れている。

さて、この場所は都内一等地でありながら
オープンスペースでイノベーション型。

入り口を入って左手に大きな壁画がある。
海外でも活躍する日本人二人組の男性アーティストによる作品。
両側より描いていき、最後ひとつになるのが感動的だったと藍染アーティストの琢磨くんが教えてくれた。
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当日は、その藍染アーティスト、リサイクル素材の開発事業、創作アーティスト、クラウドファンディング事業、海外アーティストやスイスの学校と中継を結びZOOM の配信をしたりと盛りだくさん。

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小さな子どもたちも学校や保育園帰りに親子で参加し賑やかな会場だった。
そんな中でも一際光っていたのは、4歳のアーティスト虎之介くん。
彼は父親のGenshin と共に参加。
インタビューの受け答えもしっかりと
答えていた。
https://www.facebook.com/Toranoruke/

わたしは当日は1人で向かった。

会場には既にたくさんの人がマスクを着けて座っている。
入り口での検温も忘れちゃいけない。

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Ken-g の作品の前に10代後半の服飾系メークをした可愛い女の子が二人。

彼女たちの頭上にある作品の写真を撮らせてもらった。
その後、テラスで開催されたライヴアートの続きをこどもたちがワイワイ言いながら
普段は使うことのないスプレーペイントで
アートワーク。

そのあとを引き継いで、先ほどの女子二人と三人でアートワーク。

この日、わたしは市川の三和製作所で壁画作業をした後だったこともあり、かなりグロッキーだったのに。。。セッションアートをしたら楽しくなってエネルギーが復活。

更には、新しいアイデアに閃きつつ
次の壁画場所にも出会ってきた。

こどもや大人というカテゴリーでなく
2030年の持続可能な世界を生み出すのは
間違いなくエネルギーを出合うこと。
これを感じさせてくれた。

壁画を描いていると、不思議と人の波が
見えたりする。
そこには、お金や利権など渦巻く世界を見てしまいがち。だけど、それはちょっと間違っているんだ。

本当に素晴らしい世界を共有したければ
相手へのリスペクトが全て。
信頼と信用はベースにあって、よい仕事を生めば必ず未来へ繋がったいる。

その未来的観測のある場所こそ
Seed ~種~
ではないのか。

14歳だよ。息子よ~シリーズ

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誕生日はラーメン屋へ連れて行く。
プレゼントは姉の御下がりのiPhone8。
LINEだけ繋いだ。
自転車は盗まれたので、中古のママチャリを
希望。
将来は平和に暮らせていればいいとのこと。



2006年9月6日に息子は誕生した。

同日はニュース報道が賑やかだった。
テレビの内容は赤ちゃんの誕生で話題が
つきない様子。

帝王切開で出産することは確定していたので
日程は選ばれていたと言ってもいい。

ズバリ担当医の都合だった。

入院前の検診でカレンダーをパラパラ捲りつつ先生はご自身の出張の都合をチェックしながらこう言った。

「9月6日しか開いてないな。。。
この日でどう?」

何とも呆気なく決められた。

しかし、その日は日本国にとって重要の日でもあった。

そう、秋篠宮家に待望の男の子が誕生したのだ。

同時、紀子さまは高齢出産でこの日は
帝王學に基づいた特別な日だと言うではないか。。。

あれ?じゃ、我が息子はそんな特別な日を
選んでこの世にやってきたというの?



手術室には娘が選んだCD HANSONポップロックが大音量でかかる。

全く緊張感もなく、お医者さんも看護師さんも終始笑顔。
その時の看護師さんのユニフォームは確か
スポンジボブのイラストが入っていた。

遡ること6年前の出産は緊急手術による
帝王切開だった。
脳に異常があるかもしれないと脅され
緊張感に包まれながら書類にサインした。

それとは対極にある明るい出産。

「ちょっと押し出すよ~」

その一声は担当医からだ。この声を聞いたとたん、息子を取り出す瞬間にtrapしていて
真っ暗な宇宙空間の中で高速滑り台の様な乗り物にハイスピードで引っ張りあげられる感覚を経験した。

37歳での出産は不思議な宇宙旅行

そして、出てきた男の子こそ宇宙人だ。

最近は会話は何とか通じるが、相変わらずマイペースで生きている。

「母~母~は母に話がある。」

14歳の誕生日祝いに外食へ行こうと車に乗り込んで二人きりになった。

「オレにさ、彼女ができたんだ。」

と、報告があった。

何か嬉しい気持ちを抑えきれなかったみたいで、その姿は運転席と後部座席での対話にも関わらず溢れでる喜びを隠しきれない様。

人生初の彼女ができたことへ
案外アッサリと応えた。

「ふーん、良かったじゃない。
女性と付き合うにはマナーが大切だな。
清潔感とマナー。」

「うん、よろしくお願いします。
あっ!でも、このことは他の家族に言わないでね。」

「じゃあ、なぜわたしに言うの?」

「母はこういうの信用できるから」

いえいえ、blogネタにしています(笑)

と、まぁ何とも微笑ましく本日は晴れて14歳となった。

のほほんとしている様で世の中をよく見ている処がオモシロイ、小さな頃から哲学者でもある。

学校の成績については全然伸びずとも悩んでいない。基本的に明るく陽気で人が好き。

そんな息子のマイペース人生が少し加速はじめたのかも。

母としてできることは見守るぐらいだけど
恋せよ、息子。

大人への階段を登りはじめたなと
感じている。