【蕎麦屋の跡地でこども食堂】コレはリアルか?脚色アリか?
#このお話はノンフィクションかも知れず、実際の登場人物は存在するかしないかを決めるのはアナタ次第…
この住所は既に未登録となっている。
あれは、平成15年の春頃
離婚を決めた私は、
早速、家を出ることに決めた。
こども達とは意志の疎通が取れていた。
とにかく、近所に引っ越そう。
息子の転校をタイミングだった。
今も公立の小学校と中学校に通っているし
手続きや切り替えが大変。
まずは自分の荷物の運び出しからはじめる。
1234!って。ニッポンレンタカーったら。
こうして、私は大型トラックを自分で運転し
近所に店を借りて引越した。
ボロボロの蕎麦屋の跡地だ。
しばらく誰も借りていないのかと思ったら
アーティストが作品づくりの現場に使っているそうだ。
まだ、前の住人の荷物が少しあるが
こちらも急いでいるし、大家との交渉も終わって
るんだし。
昭和44年の建物か
という事は私と同じ年。
なんでも、元々の大家は借家として当時この店を立てたらしい。蕎麦屋は大型バスが通っただけでも
振動がスゴイ。ガタガタガタ…
震度6かと思った。
とにかく、店が汚いし大掃除からはじめるとするか。
店舗の奥には土間があり、2階建ての店舗付として
はかなり広い。
しかし、2階へと登る階段がかなり急で掴まって登らないと落ちたら大変だ。
2階は広いが、あっちこっち底抜け。
住める状態の部屋は後から増設した六畳間。
まあいい。
今は贅沢も言えない。
離婚は決まったものの、借金のあるパートナーだったからお金なんか取れない。
とにかく、こどもたちと一緒に住める状況を作ることが先。
店舗は毎朝6時にはシャッターを開けて
風通しをよくする。
古い匂いが鼻をつくし、埃っぽいのが嫌だ。
シャッターを雑巾がけしたり、丁寧に拭きながら
お店に手を入れると愛着が湧いてくる。
朝早くお散歩する人やご近所の方に声をかけてもらい始めると、何だか街に慣れてくる気がした。
その頃、私のことを応援してくれる友人が
ちょこちょこと店に顔を出してくれる。
みんなあまりのボロ屋に驚くが、私にとっては
久しぶりに自由な城ができたのだ。
そこでは、毎日料理を作る。
食べ物屋をはじめた訳ではないが
気のいい友達が呑みに来たり、迷子の老人が
座らせてくれと立ち寄る。
ある日のこと、小学生の女の子がガラガラと
引き戸を開ける。
そこには、息子の学校の女の子が立っていた。
彼女はそれから、ほぼ毎日立ち寄る様になる。
何となく、家族の様に息子と娘の3人で食卓を共にする。
これをきっかけに、こども食堂をはじめる。
一対一の日もあった。
ある日曜日、朝はシャッターを閉めていたが、それでも女の子はノックを繰り返す。
👧「開けて〜!開けて〜!」
さすがの私も面食らって彼女に聞いてみた。
👩「お家の人はどうしてるの?」
👧「うん、誰もいないの。お姉ちゃんは帰って来ないし、父ちゃんは仕事。お母さんはわからない…」
家庭事情を詳しく聞く訳にもいかず、夕方まで
一緒に過ごす。
そこで、父親の携帯番号を聞いておいた。
そこへ、かけてみる。
トゥル〜トゥ〜トゥ〜
👨「はい、もしもし!あっそうです。いつも娘がお世話になってるみたいでスミマセン!」
父親とやっと連絡が取れた。
食事はお金を取らないが店は利用料がいることを
伝えた。
すると、その翌週から彼女はしばらく来なくなった。
2週間ほどたった頃、また来た。
そして、衝撃の一言を言われた。
👩「しばらく来なかったけど、何してたの?」
👧「うん、違う友達の家に行ってたの」
👩「そうなんだ。でも、いつもよくここまで
遊びに来られるよね。家からは遠いでしょう?」
👧「うん、だってここはおばあちゃん家だったから」
👩「えっ?今なんて言ったの」
👧「だから〜っ ここは、おばあちゃん家なの!」
私の身体にはぞぞぞ〜と鳥肌が立っていた。
まさか、まさか、この子のためにこの家を
開けたのでは!
いや、これは!
私が呼ばれたんだ。この家に…。
益々、怖くなってきた。
なぜなら、この家を借りたとき2階の押し入れに
大層な箱があった。
その箱の中身にこれまた立派な天狗👺のお面が
入っていた。
👺さんは飾って欲しいというので、店の神棚に飾った。
私がこの店を借りるまでは、短期で借りていた人たちがいる。
それは、市議会議員選挙の出馬に向かう事務所だった。
誰かが、置き忘れて行ったのかも知れない。
でも、この👺天狗さんには深い思い出がある。
やっぱり、呼ばれた?
コワイコワイこども食堂のお話。