chikyuwatomodachi’s diary

地球はともだちのお話

やくそく

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約束は守られるためにある。
そう思って生きてきた。

けれど、人との約束を忘れてしまった!
という経験は私にもある。
日にちが完全にズレていた!
相手は待ちぼうけさせてしまったのだ。

本当に申し訳ないと反省。
その方、怒るどころか心配までしてくれた。

これについてはお相手の方の度量に感服、
完全に恐縮してしまった。
そんな、おっちょこちょいな私の苦い失敗経験がある。



さて、今回の約束についてはこうだ。

「2月14日一緒に出かけましょう。楽しみにしています。」

ある日、ギャラリーで作品展を見に
行かないか?と誘われた。
誘われたら、こちらも予定を空けておく。

「アーティストの方を連れて行きます!と先方に話しておきました」とのメール。

前日、何時に出かけるか決まっていなかったので
何度か電話をする。

しかし、相手が電話に出ない。

メールを確認すると、

「明日は1人で行きます。」  
 
ここで、何の理由も書かれていないこと、
謝りの一節もないこと、

更には、突然のキャンセルで面食らったと伝えると

「何も予定は変わっていない。変わったのはあなたの心ではないですか?」

との返信メール。



私は一瞬、何を言ってるんだろう???

メールを読み返す。

【やくそくって何だろう?】だ。


約束とは口約束にはじまり、契約書なども含める。

そのやりとりから、温度差を感じる。

人に対しての礼儀や信頼関係である。

言った、言わないについて、揉める事。

生きて来た中で、この事に拘ってしまう自分がいることに気づく。

契約書がある様な事柄は判断できるが

人と人との約束となれば、何を基準に信じるのか。

実はその人物のドタキャンは2度目。
もう、付き合わなければ良い。そこまでの人。
とするのか…

しかし、どうも今回のギャラリー見学はそこまで
行きたかったワケではない。

急に冷静に自分の気持ちと向き合う事になる。

記憶を辿って行くと、幼い頃の自分に戻る。

守られない約束に対しての哀しみだ。

哀しみが怒りに変わる。


そこで、今回はこの事にこだわる意味が無いと判断した。
自分の人生において、必要な事かどうか考察。

全く、必要性は無い。

腹を立てても、何の得も無い。


ココロのクリーニングをし、
す~と怒りが冷めていく事がわかる。



やくそくをまもること

これは、当然のことだと思ってきた。

しかし、そうでも無い人に出会ったときに

自分はどうか?と考える。


相手を許せるかどうか?ということ。

①理由がわかれば許すのか

②それとも、許さないのか


私の場合は①だ。しかし、そこには相手の謝りの
言葉を感じるかどうかがポイントになっている。
相手との共感が生まれなければ②だ。

結局はそこを見ている。

人格を見ている。
 
人は鏡写し。

そこで、最初のやくそくに戻った。

【約束を違えれば、互いの福を奪う】

私もまた、約束は忘れてはいけないし
急なドタキャンも気をつける。

人に向けた思いはさながら自分に向いているのだ。

この事を通して、付き合う人を選ぶことにも
向き合うことになった。
三者がみせてくれた自分への投影だろう。

さて、今朝は少し気持ちの切り替えができた。
新しいスペースが生まれ、次の次元へ。

身近な人の言葉は
「Emi-sun、大切な人は自分の周りにいる。
5人いればいいんだよ。」

その言葉が私の中で染み渡る。
本当に大切な人は既に傍にいる。

やくそくは心の繋がりと未来を結ぶ。